42日間 191225


10月15日から19日まで
11月12日から26日まで
そして12月3日から25日まで、合計すること42日間に及んだ入院ライフが間もなく終わる(;´Д`A

その間、病棟の看護婦の名前はほぼ全て覚え、仲良くなったと調子に乗り、連絡先を聞こうとしたら「個人情報なのでダメです」とアッサリ断られw、中国人の看護婦とは会えば中国語で会話し、身体と一緒についでに中国語のリハビリ。
ドS看護婦との生活指導も何とか合格。
術後のキズはまだ少し痛むし、長い距離を歩くとまだまだ息が切れるが、歩ける距離は確実に増えていってる。

先日、見舞いに来てくれた友人から
「あんな姿になってしまって、とても辛いはずなのに皆を笑わせようとしてるシャオリンを見たら涙が出てきた」
みたいな事を言われた。
確かに入院前より体重は7キロ落ちたし、体力も落ちたし、4回あった手術はそれぞれ痛かったし、11末から12初旬まで行った透析は毎回イラついた。
けれども辛いと思った事は殆ど無かったのだ。

何故なら今回の腎臓の手術は人によっては実現出来ない可能性があったのが俺は実現出来た。これだけで十分幸運なのである。
何度も書いてきたが、とにかく透析人生だけは絶対に嫌で、そうならずに済む道筋が見えた時点で、自分は運が良かった。
後は医師の指示に従うだけだったので、やること自体は至ってシンプルだったのだ。

とにかく大切な腎臓を1つくれた母には頭が上がらない。
親が元気な間、子供は生きることを諦めてはいけないのだ。
何故なら人は親や妻もしくは夫、子供、それら周囲の人達によって「生かされている」から。

それと、くどいようだけどお見舞いに来てくれた友だちと同僚の存在ですね。
彼らと会って話して元気を貰った事で、回復は確実に早まっているのだ。
一生透析になるはずが、ならないで済み、且つ元気になる方法が見つかり、更に友人達との絆を再確認出来た。
結果的にとても有意義な時間が過ごせた。
今はかなり素直にそう思ってます。
心残りなのは看護婦たちの連絡先が聞けなかった事ぐらいかなw

さて、今後は自宅で療養しながら体力を回復させ、中国の旧正月の時期ぐらいから段々色んな人と会う時間を作り、2月に友だち集めて新年会でもやって、3月には社会復帰出来ればいいなと思い描いております。

何れしても2020年は楽しい年にしたいですね。

という事で長きに渡った入院編は今日が最終回です。
入院中暇だったんで毎日のように長文となってしまいましたが、僕の投稿読んで人間ドックへ行くことにしたとか、健康診断行ってきたとかって人もいたみたいで、少しでも皆さんの反面教師になれたのなら光栄ですw

つづく

>>クリスマスに遂に退院。様々な想いが去来し書いたのだろうが、最も肝心なドナーとなってくれた母には感謝しかない。
何とか恩返しをしていくことがこれからの目標の1つとなった。