透析人間の恐怖 191201


束の間の下界LIFE。
とは言っても火木土曜日は透析しに病院の日々で、寝る場所が病院から家になっただけなのである。

透析。これ、手術までの期間のみ限定という事で受け入れ、現在実践中だが、もし移植手術が出来ず、障害者手当を貰いながら一生透析人生だったらどうなってたか…。

1.社会人として死ぬ
→週に3-4回病院行って4-5時間拘束。少なくともカレンダー通りの通勤は不可能となる。
海外へ旅行するとか、移住するとかも同様に不可能となる。

2.身体への負担が馬鹿にならない。
→身体の血液中の毒素を取ってくれるのは有難いが、終わるとものすごい倦怠感に襲われ、体重が2-3キロ減り、発熱もする。透析した日の夜は毎晩汗だくで目が覚める(;´Д`A

3.腹膜透析は実質運用不可能
→透析しながら仕事をする人のために、病院で行う透析の機械を自宅に持ち込み、自分で行う腹膜透析のこと。
前回の入院中、同部屋でその機械を病院に持ち込み、夜の就寝時に透析運用している人がいたが…
・音がうるさい
・しょっちゅうエラーになる
・機材やら薬品の量が大量で保管場所に困るレベル
と、どう見ても運用に現実味が無い。

…って感じで実際に透析やってみて思ったことを並べてみた。
・今の時代は透析しながらでも長生きできる。
・快適な環境で透析できる。
・腹膜透析を睡眠時間に運用すれば元通り仕事が出来る
…等と最初は聞いていたが、実際目にしたり自分自身が透析をやってみて思う事は、ちっともそんなことは無いという事。

40代で透析は人生完全ゲームオーバーですよ。。

ここまで、入院が長引いたり手術が増えたりしているが、一生透析になってしまった場合の恐怖に比べたらカワイイモンだと思えるし、耐えられる。

何が言いたいかって?
腎臓移植手術が出来る俺はやっぱり幸運であり、提供者である母に

感謝してもし切れないという事。
それと、暴飲暴食するなとは言わないまでも、人間ドックとか健康診断は必ず行っておきましょうよって事。



写真は東海道線唯一?の無人駅の根府川。明後日からまた入院で暫く外の世界に出れないので。。

つづく

>>肺の手術に伴う入院から本番の移植手術のための入院まで、僅か1週間だけ実家で過ごすことが出来た。
実は手術をすることになった病院はセカンドオピニオンで見つけた病院で、そのお陰で移植手術が出来るくだりとなった。
その前の病院では移植手術が出来なかった為、透析を自宅で行う腹膜透析を勧められたのだが、この時期実際自分で透析をしてみて、どう考えても現実味がないことを思い知らされる。

とにかくこの時期は透析が嫌すぎて、移植手術をすれば透析が無くなる為、手術が待ち遠しくもあるという、、とにかく複雑な時期だった。