晴れ時々ウツ
最近はよくコントロールできていると思う。寝込むのは台風と梅雨前線の時くらいになったから。
一番ひどい時は、ほとんど寝て過ごしていた。
その頃、長男は中学受験を終えて入った学校で猛勉強していると同時に酷い反抗期で、夫との諍いは毎日のように起こった。2人で暴れてドアをブチ壊したこともある。
次男は保育園に通うのに、わたしが朝起きられないから夫が毎日送って行った。お迎えだけはかろうじてわたしが行ったけど、日々成長する様子をあまり覚えていない。トイレトレーニングや歯磨きの習慣や箸の持ち方、みんな保育園で教わってきたような気がする。
炊事は唯一好きな家事だけど、やる気は低下していて揚げ物を買って帰って、キャベツだけ切る、そんな日が続いた。
布団を干したり、洗面所をきれいにしたり、フローリングにワックスをかけたりなんて、全然できなくなっていた。家はどんどん荒れていった。
そしてわたしは横になってぼんやりしている。
時々ベランダに出て下を見て、7階から飛び降りたらきっと一度で死ねるんだろうな、などとよく考えた。
仕事からまっすぐ帰らずにダラダラと家から反対方向に歩いて遅くなり、大きな川の欄干に寄りかかっていたこともある。
反抗期だった長男は、しょっちゅう学校で問題を起こした。少しヤンチャなだけだったけど、進学校では異質な存在で浮き上がっていたようだ。それを父親にいつも責められていた。唯一味方をしてくれるはずの母親は、ぼんやりと寝てばかりいる。
彼は居場所を求めて家出を繰り返した。
それもわたしの前夫、実の父親の家に逃げるのだった。
裁判までして親権を取り手元で育ててきたのに、とわたしはヒステリックになりますます長男を叱り付けた。ずっと苦楽を共にしてきたのだから、わたしを解って欲しかった。
でも14歳にそんな余裕はない。今ならわかる。
そんなストレスの中で、仕事の成績が上がらず、体調はますます悪く、ある時家から出られなくなってついに休職した。
それからの一年のことは、あまりよく思い出せない。
復職しようと準備している時期に、叔母と諍いを起こしたことをきっかけにして精神が不安定になった。それを職場に嫌がられて復職を断られた。
その断られたときに職場から紹介されたのが、今のクリニックだった。
1回目は自費診療で1時間半の聞き取り調査を受けた。そんな経験は初めてだった。はじめに通院していたクリニックは簡単な病歴調査程度だったし、1ヶ月に一度の診察は5分もかけなかった。それが普通なのかと思っていたから。
わたしは紹介状も何も貰わずに一存で通院先を変えた。ドクターとは隔週で30分近くみっちり話をするようになった。薬はそれまでと全く違うものに変わった。
数年かけて、薄皮を剥ぐように少しずつ少しずつわたしは落ち着いていった。
今は薬を飲むことで、ほとんど普通の生活に近づいている。こうしてまとまった文章を考えることもできる。少しは手の込んだ料理を作ることもするし、次男の思春期を鷹揚な気持ちで眺めていることもできる。
まずまずのお天気が続いている、そんな感じ。
それでも時々寝込む。リアルのお天気が悪いときに。
夫は躁鬱病で寝込むのは、ただのサボりだと考えるような人なので、もう理解してもらう努力はしていない。
14歳になった次男の方が理解は深い。今日は辛い、といえばどんな手抜きでも受け入れて淡々と過ごしている。
家を出て独立して生活している長男は、時々わたしの手料理を食べに来て、思い切り笑えるバカ話をしてくれる。
だから、今はだいたい晴れ。
だいたい、で生きている。
生き続けられるなら、だいたいでかまわないと、自分を甘やかせるようになった。
10年以上かかった。
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