一ヶ月note毎日更新チャレンジの感想
軽いnote体験記です。
治安の良さ
インターネットの向こう側には喜怒哀楽を持った血の通った生身の人間がいる。我々はその事を忘れがちだ。
その人間もまた多種多様であろう。日本の端っこで淡々と更新をし続ける自分の様な人間もいれば、東京のタワーマンションで下界を眺めながら下々の営みを嘲笑する人間もいる。
明日の三食が食えるかどうか心配している母子家庭の見ているテレビに映されているのは、吉野家福祉論を唱える社会学者であり、更なる増税を主張する経済学者だ。
「人生は色々」と国会の答弁で答えた首相がいた。
私はこの男のお陰で不利益を受けた人間を何人も知っている。大黒柱の失業の果てに消息不明になった近所の家族もいる、過労の果てに倒れて精神を壊し、今だに復帰叶わない兄の同期の先輩もいる。
彼らに向かって「人生も色々なのだ」と上から目線で説教できるほどお前は立派なのか?と睨み付けながら怒りを覚える事もある。
そして今は思う。「人間とは、自分の半径数メートルの世界を全世界だと勘違いしがちである」という言葉は正しいのだろうと。
その点において郊外のニュータウンっぽい雰囲気の強いnoteはまだマシな部類だ。小火が日常茶飯事のインターネットスラム街や過疎化を通り越したインターネット限界集落に比べたら多様性がまだ担保されている。
(しかし、いつスラム街や限界集落になりかねない危うさもある)
毎日更新のしんどさと快楽
毎日更新するのは本当にしんどい。
文章を書き慣れている人は全く苦にならないだろうが、文章を書き慣れておらず卒論以来の自分にとっては、指導教授に提出してはダメ出しをくらいまくり軽くトラウマになってしまった学生時代の酸っぱい思い出がフラッシュバック。
次に、毎日更新の為にネタを仕入れる必要性があるのだが、これがどうしても時事問題に傾斜してしまう。必然的に時事問題に条件反射的に反応してしまう。つまり、Twitter的使い方のクセが全く抜けきれていない。
そんな中でも、数年に渡って毎日更新している人もいるという。
文章を書くのが億劫な自分の如き人間から見れば、良い意味で異常者だ。その大変さを改めて噛み締めている。
何より感謝を。
まず、更新頻度を減らします。文章を書くのが本当に苦になってしまえば、せっかく始めたnoteの意味がございません。
そして、自分の駄文に付き合ってくれるスキモノなフォロワーの方々の忍耐強さには敬服すら覚えます。本当に感謝しています、ありがとうございます。そして、今後共、変わらぬご愛顧を宜しくお願い致します。