溺れた犬を棒で殴る無慈悲な女王


人間讃歌(と人間の宿業)

懐メロって、結構奥が深いんですね。

「弱い者たちが夕暮れ 更に弱い者を叩く」
「いいヤツばかりじゃないけど 悪いヤツばかりでもない」
「ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない」
25歳で人間の本質に到達した甲本ヒロトって凄いです。洞察力がハンパじゃありませんよ。

だがそれより遥かに前に、東洋人の醜さに気付いた人がいた。
周樹人、最初の名は樟寿、字は豫才という。

彼は魯迅というペンネームの方が遥かに有名だろう。


阿Q化している自省

魯迅という作家は極めて不思議な作家だ。
士大夫階級出身でありながら、その士大夫が拠って立つ儒教に対しては「こんなモノがあるから我々中華は西欧に遅れているのだ」と痛烈に罵倒している。

その魯迅唯一の中編小説にして、今でも東洋人に戒めを与えているのが『阿Q正伝』であろう。

[抜粋]
無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗な一方で自分より弱い者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の卑屈で滑稽な人物像を描き出し、中国社会の最大の病理であった、人民の無知と無自覚を痛烈に告発した。
[抜粋終了]

結果を心の中で都合よく取り替えて自分の勝利と思い込むことで、人一倍高いプライドを守る「精神勝利法」

気が付けば、日本人は上下左右全部が精神勝利法でズブズブだ。
貧しくなる一方という現実を誰も彼もが見たくないから、精神勝利法でメンタルを保たせているのだ。

魯迅が今の日本のSNSの有様を見たら驚愕するだろう、「阿Qばかりじゃないか」と。

「溺れた犬は棒で叩け」は精神勝利法の応用編であろう。
どう考えても反撃されそうのない弱い存在を「溺れた犬」に例え、棒で叩くという行為によって得られる精神的勝利。
傍から見たら単なる弱いものイジメ、現代で言うなら動物虐待、それでも得られる快感はナニモノにも替えがたい。


現代の「溺れた犬」=中年のおじさんとオタク

そう考えると、現代日本の「溺れた犬」の輪郭が見えてくる。

毎日、社会学者が日替わり立ち代わりで中年のおっさんを言葉の釘バットフルスイングでぶん殴っても何一つペナルティはない。しかも中年のおっさんは社会の少数派として社会の隅で小さくなり、ひたすら自分に類火が及ばぬ様に存在を消しているか、女性様のATMとして存在を赦されるのみ。

中年のおじさんの力(社会的権力・経済的・腕力)が下がったからだ。

フェミニストのオタク男叩きも同じ理屈である。
「何で直接的に加害をしているウェイ系のイケメンやチャラ男に文句を言わないのか」という疑問への「だって直接ぶん殴ってきそうだもん(恐怖)」という解答は説得力がある。
逆に言えば、オタク男は「絶対に反撃してこない都合の良いサンドバッグ」程度の認識に過ぎないというのを自白しているようなものだ。

こういう相手は執拗で、しかも加減がない。
いつまでも彼らの精神勝利法という名前の歯止めや良心で誤魔化すのは限界に近づいている。



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