全ての(弱者)男性は消耗品である、という身も蓋もない話。
だからといって、最近猖獗を極める男女論関係の話ではございませんので悪しからず。
2022年2月24日、パラダイムは反転した。
あの日、世界は衝撃を受けた。
専門家たちが経済的なアプローチ、軍事的分析、それらを交えて出した「理詰めで考えるとありえない」という事が現実に起こってしまった。
多くの国際政治学者は「あいつらは正気か?」と頭を抱えた。
ニュースキャスターは混乱した。
常日頃から負の愛国心を滾らせた一部の連中は自らの学説の完全な破綻を目にし、信じ難き現実から目をそらすように持論を町内放送のスピーカーの如く連呼していた。
あの混乱の冬が、また訪れた。
そして我々は否応なく現実を突き付けられている。
日本列島という地理的な立地が、ランドパワーである中国やロシアの太平洋侵出の防波堤である事実に。
それを防ぐ為の武装の数も足らず、国民の覚悟もなく、ネット軍師の方々の意見は何処か他人事で、そして国力からして既に我々は国際政治のグレートゲームのメインプレイヤーから外れつつある、という不都合な現実に。
どうも日本の御偉方、学者と呼ばれる方々の結構な数は何かにつけ日本の地理的立地や特性を無視したがる傾向にある…という独り言はさておき。
自称リベラルの葬式
この日をもって、彼らの空想はほぼ全面的敗北を受けた…といってもよいのではないだろうか。
「話し合えばわかり合える」というリベラルな思想の持ち主の方々の言葉は空挺部隊の一撃に沈み、「戦争を回避する為にウクライナは妥協を」という元国際機関職員の言葉はその後のロシア兵の暴挙の数々によって鼻で嘲笑され、それでもこの暴挙を擁護する老学者の断末魔に近い叫びはイスカンデルやキンジャール、アヴァンガルドの爆音にかき消された。日露交渉(及びその利権)がライフワークだった政治家は完全に白眼視された。
私は思わず呟いた、「これは日本の自称リベラルの終わりの始まりだ」と。
そして、その後は全裸中年牧師のリモートお祓い、告別式に読経までやった。それでもゾンビ化した彼らはまだ現世に未練があるらしく、怨念を振りまいて呪詛を唱えている。こうなってくると、もはや特級呪物である。本当に勘弁してもらいたい。
何故、彼らはゾンビ化したり特級呪物化したのか?という謎は色々と語られている。自分の人生をまるごと否定されたようなものだから、その防御反応なんだとか、色々と言われてはいるが、私は彼らに対しては極めて冷たい態度を取らざるを得ない。
「はん、あんたらの人生が否定されただって?血も流していない癖に甘えた事言うなよ、あんたらは命があるだろうが。SNSで晒されるロシアの動員兵の方があんたらより余程同情できるわ」
ウクライナの大地で一生を終えたロシア動員兵の姿、あれは紛れもなく「別の世界線の自分」なのだから。
同民族のリベラルよりロシア動員兵に同情してしまう不思議なメカニカル
侵略初期から参加していた正規の契約兵にしろ、ロシア動員兵にしろ、前線で戦っている下級将校以下の兵士における構成が少数民族や地方出身者に偏っているというのはよく言及されている。彼らは基本的にモスクワやサンクトペテルブルクの市民所得や生活水準とは程遠い、社会インフラ何ですかそれは?みたいな地方からウクライナに出てきて略奪を働いている。
略奪行為は蛮族行為そのものである。だが同時に、「家族に楽をさせたくて蛇口を盗んだ。蛇口を捻れば水が出てくる、水汲みの苦労をさせたくなかったんだ」「不衛生で寒い汲取式便所を解決する為に便器を盗んだ」といった捕虜兵士の話を聞くと、彼らの無学さ以上にインフラそのものが存在しない環境で育った故の無知に何ともいえない気持ちにさせられる。
ロシアのテレビ局がCMで「壊れた国産車を嘆く祖父も、戦場に孫を送れば解決だ」とやっていたのを見て、孫を戦場に送り込む酷いジジイだと思ったのと同時に、孫を売るまで貧しいのかと思った。
結局の所、御國の御盾として死んでいくのは少数民族・貧乏人・下層階級・地方出身者と相場が決まっている。
それは何もロシアだけに限った話ではなく、本朝にしても、その手の話はゴロゴロ転がっている。
遺族年金目当てに子供に立派に戦死してこいと言った田舎の両親の強欲話、農家の部屋住みとして一生を人夫として暗い人生を送るより軍隊の方がマシだったという話、地方にとって軍隊・自衛隊というのは数少ない優良就職先という現実、田舎の貧乏士族だったうちの祖父の実家は3人ほど海軍に進んだが、うち2人は特攻で帰らぬ人となった、就職氷河期時代の地方の優良就職先は自衛隊だった…等々。
これが、戦争と軍事の身も蓋もない現実なのだ。
この生活と密着した戦争の現実を前にすると、恵まれた銃後にいながら「侵略してくる外国人の方が良い男かもしれない」と嘯くフェミニストの大家や、無学で貧しい田舎者を肉盾にしながら戦争反対の念仏を唱えるばかりの日本のシティリベサヨの何と薄っぺらい事か。
もしも、巷で心配されている「台湾有事」が発生したとしよう。その際に限りなく前線に近い場所に置かれるのは南西諸島であり、その先に位置する九州である。
その時、シティリベサヨはどういう反応を起こすのか。
密かな、昏い楽しみである。