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散骨屋後日談6章

高橋結さんの場合( Hawaii・Oahu )

初めての問合せはE‐メールではなしに、国際電話だった。

直ぐに電話番号をメモし、折り返しで日本に電話すると、

電話の向こう側には、ネットビジネスへの猜疑心の塊でもあるかのように、

「?」印を背負ったようなゆいさんがいた。


ゆいさんからの問合せは、質問ではなく、心配を打ち消す為の質問であり、

自然葬への質問は皆無だった。

後で知ったのだが、電話してみたのも、その電話番号が実際にあるのかどうかを試したものだという。

声の若さは直ぐにでも分かり、そのしゃべり方は、若い女性特有の抑揚のある

話し方で10代後半から20代前半と推測できた。

散骨屋にその若さで質問の電話をしてくることは稀で、普通は遺族の代表,

つまり、奥さんか旦那さまが多い。


質問をお聞きしていると、営業年数が何年か?何人ぐらいの方のお式をしたのか?

会社の内容をあれこれと質問し、それに細かく答えはしたものの、

余りにも若さゆえか、切り込み質問が多く、正直私も少しムッとした。

質問攻勢に辟易した私は話題を変え、こちらからの質問に立場を入れ替えた。


それによると、ハワイでの自然葬を希望し他社を含めて色々な所に問合せをしているが,

ここと言う所がないらしい。

喪主はゆいさんで、お父様の式で、お母さんが参列する予定と言う。

少し疑問がわいたが話を続けると、お式の時間を短くし、船も小型にはできないか?と言う。

そしてその分安くとも。

私は船に詳しく、小さい船の揺れの事、そしてお式に掛かる時間は5分でも出来る。だけど、

急いでするお式には反対だとの自説をご説明した。


自然葬は、大自然から産まれ出た、人間という生物がその生を終えて、また大自然の海や山に戻る、

大きな流れの中で行う簡単だけど偉大なセレモニーだ。

それには、気取りや、前例、規則はないけれど、無いからこそ、地球に生きた、

その方への尊敬が込まれるものでなくてはいけないと思う。

参列するもの全員が同じ思いで、その方の生の終焉を惜しむ気持ちが無くてはまして、

短い時間内に終了させるべく海に出るのでは、沖にゴミを捨てに行く事と変らない。

地球に生きる意味、そして、人としての生き方の意味、を考える事により、

故人が何故、自然葬を選んだのかを考える為の時間が欲しい。

そんな時間には、綺麗な海をゆったり走る、風と共に流れる時間がうってつけだ。

海に出ると酔うかも知れないという、経験則を通した大人の考えを少し引っ込めると、

今までに見た事の無い、海の青さと潮の流れの中に、大自然の入り口が見えることがある。



「結」と書いてゆいちゃん17歳、都内の高校に通う、というより、気が向けば行くという感じらしい。

それは後日知った事だが。

ハワイで式の前日に最終の打合せの為お会いすることになり、ホテルに向かう。

ホテルはワイキキの海岸に面し、豪華ではないけども瀟洒な、パームツリーが良く似合う

歴史のあるホテル。海の見えるロビーで人込みに迷うことなくお会いした。


やはり、ゆいちゃんと呼ぶ方がふさわしい可愛い高校生だった。傍らにはお母さんが時差で

少し疲れた身体を並べる。

ゆいちゃんは、原宿から抜け出してきたままのファッションで、

ワイキキにはお世辞にも似合っていなかった。

小さな胸をこれ見よがしに露出し、タンピアス、と小鼻のピアス。耳のピアスは勿論、

顎までピアスで飾っており化粧も年の割には濃かった。

腕には根性焼きの痕があったが、同世代の娘を持つ私には、普通の子供と代わらない、

化粧をしなければもっと綺麗だろうなという気持ちしか残らなかった。


打合せは、何の質問も無く順調に進み、それまでいらないといっていた、生花の追加が有っただけで、終えた。

次の日に撒いてしまう生花の花びらとはいえ、明日の式まで御遺骨と、写真を飾ってくれる生花は、

思う以上に心がかようもの、次の日には御遺骨を撒いた場所を特定して暮れ皆の視線が注視する

マーカーの重要な役を担ってくれるし、船の大きさチャーター時間と同じく大きな要素に入る。

今はもう、ゆいちゃんに、猜疑心は見られず、ただ最高のお式にしたいという、

そんな気持ちが感じられるだけだった。


次の日は快晴。

今日使用する船は、65フィートのカタマラン(双胴船)ヨット。

双胴のため、安定感がよく、スピードが速い。多少風が強くても安心だ。

それも65フィートもあれば、太平洋横断もできる位だ。

事実この船は、大西洋岸からハワイまで船長以下4人のクルーで回航して来たと言う。


港を出ると、心地よい空気と海の色がゆいちゃんの口を軽くさせたのか、

今まで貯めていたものが、一挙に吐き出してきた。

「お父さんとお母さんが離婚したので、この式も全て私が計画を建てなければいけなかったの・・・・」

隣にたたずむお母さんは、何の口も挟まず、娘に気を使った目を注ぐだけだった。

「もう卒業後の進路を決めなくてはいけないんだけど、学校も行かなかったし、

進路なんかね~~分からないよ」

「ピアスしてもいい会社だったらいいけど」と屈託なく 笑う。

今日の自然葬は、海や山が好きだった、お父さんの信吾さんが、癌と分かった時、

本人から万が一の場合は、是非そうして欲しいと頼まれたそうだ。


朝の航海はとても気持ちがいい、遠くの峰にかかる雲が朝の光を反射して、何重にも虹を創る。

貿易風が雲と共に山にぶつかり雨を降らせ、雲の合間から光が激しく差し込み、その時に虹が生まれる、

やがて光の衰退と同時に虹も消える。

そんな昔習った事も実際にまのあたりに見てみると、それぞれの人生にもなぞられる。


そんなに沖に行くのではないのだけど、太平洋の真ん中の島で大気と海とそこで暮らすイルカや亀が織り成す

三次元のドラマを見ていると、時間の経つのを忘れる。

さっきからゆいちゃんは,船首に立ち「タイタニックだ~~」とはしゃいでいたのに、

今はそれにも飽き、一人で山々の虹と会話をしているようだ。


自然葬にはこの時間が重要だ、自然と会話して、自然の中に故人を還す。

自然が人間を生み、時間が経過し、また自然に戻る、大自然の中での小さな営み。

そんなことを、この時間に教えてくれる。


船長の合図で停船し、島影の風が比較的当たらない場所で式が始まった。

式はいつも通りの順序で進み、ただ、ゆいちゃんがお父さんと二人で話したいからと

二人だけの沈黙の時間5分ほどをとった事が、普通と変っていることだった。


港に戻る途中、イルカの出迎えに遇った時は、ゆいちゃんの目は年相応の女の子に戻り

船の上を右舷、左舷とイルカの動きにあわせ走り回っていた。

そして帰港。

出航前には、お母さんとの間になぜか壁を感じさせていたのに、

船長とクルーに挨拶をして、ホテルに戻る間、ずーっと、お母さんの手を握っていたのが印象的だった。


そして、3ヵ月後、1通の手紙が私宛に届いた。

「自然葬の式、ありがとうございました。今でも時々思い出します、あの自然の素晴らしさ。

来月から母と一緒に住む事も決まりました。両親の離婚いらい、なんか自分が分からなくて、

いろいろさまよってきました。でも、あの式で、お父さんが私に話してくれました。

なんか、それまでの私はちっぽけだな、って今感じています。

素晴らしい式をありがとうございました。

そうそう、私、卒業したら、看護学校を受けてみる事にお母さんと決めました。

受かったらまた連絡しますね。結」


ゆいちゃんが、「結」と大人の女の子になった。

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