退院後の心境、追記

おっす、ボスニア・ヘルツェゴビナちゃんです。

バイクの事故から2ヶ月と半月ほど経って、症状もだいぶ落ち着いて、だんだん通院の間隔が空くようになってきました。2週間ほど暇が取れたので、その間実家の方に帰っていました。そこで改めていろいろ気持ちを整理して、それを誰かに語りたい気分になったので、またこうしてnoteを投稿することにしました。いい加減不幸自慢みたいでダサいし、聞く方も気分のいい話じゃないと思うので、そろそろ事故の話はやめた方がいいかなとは思うんですけど、書きたくなっちゃったから書きます。まあ、読みたくない人は無理に読まなくて大丈夫なんで。その辺適当にお願いします。

最近では、顎の骨がかなり治ってきて、もう固いものを食べても痛いとか食べづらいとか思うことがなくなってきました。なので、地元の友達や就職した大学の先輩などを誘って、何度かご飯を食べに行きました。みんな怪我のことを話すと心配してくれました。よく同情されるのは嫌だとか、俺が死んだら笑って見送って欲しいとか言う人がいますが、僕の場合は自己顕示欲が強めなので、皆んなが心配してくれるのはぶっちゃけ気分が良いです。まあ過度に心配されるとそれはそれで申し訳ない気持ちが強くなっちゃってつらくなるんですけどね。事故をしたことだけ報告して、顔見せできていなかった友人もいたので、元気な姿を見て安心して貰えて良かったです。俺が歩けないくらい弱ってると思ってたやつもいたみたいで、そいつは俺が飯を誘ってきただけでも驚いたと言っていました笑。最近は自分でもかなり治ってきていると感じていて、人によっては事故で入院したことを俺から話すまで気づかないやつまでいました。それだけ外見が治っているんでしょうね。病院で初めて自分の顔を見たときは、この怪我は本当に治るのか、もしかして俺の顔は一生歪んだままで、目も一生変な方向を見て動かないままなんじゃないかと不安でしたが、友人に気づかれないくらい治ったということはとても嬉しいです。何はともあれ一番思ったのは、こうして旧友たちに再会出来て良かったなということです。今回の事故、たまたま運良く生きていただけで、もう少し打ち所が悪かったら死んでたんじゃないかなと、最近よく思うんですよね。だからこうして生きてまた皆んなに会えたことをとても嬉しく思いました。それと同時に、もし本当に事故で死んでいたら、皆んなにはもう二度と会えなかったんだなと思うと、悲しい気持ちになりました。というか、死んでいたら悲しむことさえ出来なくて、死後、皆んなが僕の訃報を聞いてどう思ったか確かめることすら出来ないんだなと、二重の意味で悲しくなりました。多分、死っていうのは本当に呆気ないもので、死後の世界なんて天国も地獄もなく、霊となって現世を彷徨うこともなく、人は死んだらその瞬間にその人の意識が消えるだけで、ただそれだけなんだろうなって思いました。僕が今回の事故で車と衝突した瞬間の記憶を失っているように、死んだらその瞬間からもう記憶も意識も戻ることはなく、病院で目覚めることすらない。死っていうのはそういうもので、無意識下で突然訪れるものなんだろうなと思いました。当事者には嬉しいも悲しいもなく、感情を抱く暇すら与えて貰えないんだろうなと。まあ死後の世界なんてないんだろうな、なんてのは、昔から思っていたことなんですけど、僕は死について考えては恐ろしくなって眠れなくなってしまうことがよくあって、でも死なんてのは突然訪れるもので、それは避けようもなく、恐怖なんて感じる間も無くみんな消えていくんだなぁと、そんなふうに思いました。

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↑こちら高校の友達と食べたステーキ。暗い話をしてしまったのでお口直しにどうぞ。

祖父母にも事故後初めて会いに行きました。特に母方の祖母は入院中何度も泣きながら電話をかけてきたので、元気な姿を見て安心して貰えたようで良かったです。多分あのまま俺が死んでしまっていたら、おばあちゃんは心を痛めて病んでしまっていたんじゃないかなと思うほどでした。祖父母もそうだし、両親よりは長生きしないとダメだなって思いました。まあ避けられない死もあって、そういう人は気の毒かもしれないけど、それでも親より先に死ぬってのは親不孝だなって思いました。残された親族は心を痛めてずっと気に病んでくれてしまうんだなと。しっかり怪我を治して、体を大事にしようと思いました。

両親とも改めて事故の時のことについて話す機会がありました。今回の事故は相手の居眠りなので完全に向こうの過失で、俺は悪くないそうなんですけど、そうは言っても俺には記憶がないし、本当に俺は何も悪くなかったのかイマイチ実感が無いんですよね。だから心配をかけた人たちには少なからず申し訳なかったなという気持ちがあって、その中でもやっぱり一番迷惑をかけたのは両親だろうなって思います。で、怖かったけど、母親に「事故のことをはじめに聞いたとき、どうだった?」って聞いてみたんです。そしたら、「実家から病院までの道中、ずっと泣きながら車に乗ってた。死んじゃったんじゃないかって不安でしょうがなかった。」って、涙ぐみながら話してくれたんですね。それを聞いて、改めて両親には悪いことをしたなと思いました。いや、俺が悪いことしてこうなった訳じゃないんだろうけど、それでも悪いなって思う気持ちは残っちゃうものなんですね。両親の言葉を聞いて、もう二度とバイクに乗るのはやめようと思いました。なんなら車の運転もしないかもしれないです。これは自分が怖いからだけど。もしかしたら何年も経ったらこのことをすっかり忘れて、車もバイクも平気で乗ってるかもしれないけど、少なくとも今はそういう気持ちです。

最後に、本の紹介です。皆さん、昔、ビートたけしがバイクで転倒して大怪我をしたのをご存知ですか?僕は知らなかったんですけど、どうやら僕の症状とかなり近いらしくて、たけしの入院中の記録を綴った本「顔面麻痺」を母から借りて読みました。読んだ感想は、たけしの症状は僕とかなり似てて、それを受けた感情もかなり僕と共通する部分が多いなと思いました。勿論たけしと僕では年齢も経歴も、事故の経緯も全然違うので、まったく同じ感情を抱いたかと言うとそんなことはないのですが、共感できるところがかなり多くて面白かったです。皆さんも興味があれば是非読んでみてください。突然交通事故に遭った人は、こういう心境なんだなっていうのが分かると思います。

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↑ビートたけし著「顔面麻痺」

では。

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