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記録はいつでも、厚くて高い。たとえ競馬の、数字であっても。

 競馬はギャンブルであるが、スポーツでもある。その論拠の一つとして、『記録』というものを挙げることが出来る。たとえば100メートル走が競技として成り立つのは、どの時代、どの国、どの競技場であっても、100メートルという概念が寸分たがわず担保されているからだろう。そして記録と名前が残され、その更新に挑む人間が後を絶たないがゆえに、競技として成り立つのだと、ぼくは思う。

 競馬にも距離区分があり、それぞれに応じた記録と、名前が残されている。90年代の陸上競技(ドーピングに対する処置が甘かった時代)のように、なかなか更新されない記録もあれば、時代が新しくなるにつれて都度更新されていく記録もある。昔の優勝馬が記録していた時計は、今なら予選会も通過できないほど、各馬の能力の平均値は高まりを見せている。

 ただ、時代につれアベレージが上昇する一方で、どんな記録にも、金字塔というものはそびえたっている。

 野球でいえば王貞治や福本豊、金田正一のような、現代ではおよそ到達不能に思える記録。あるいはロジャー・フェデラーやウサイン・ボルトのように、現在進行形でその金字塔を建築している人もいる。あの夏、北京五輪を田舎の祖母や親戚一同と見た時の10秒に満たない興奮は、今なお鮮明に記憶しているところだ。いつかの未来、彼らと同じ時代に生きられたことを、その記録が破られた瞬間に立ち会ってなお、うれしく感じることだろう。

 さて、競馬の金字塔。

国際GⅠ(ジーワン)競争』というものがある。とにかく巨大な賞金と、世界にその名をとどろかせる名誉とが与えられるレースだ。牡牝の区分や距離、サーフェスの違いなどはあるが、日本の平地の金字塔は『7勝』が記録されている。

(補足……将来GⅠ化するレースをこの場合の記録とするので、未だ国際競争化されていない地方GⅠは含めないこととする)

・競馬界の内外にその名を知られるシンボリルドルフ

・年間負けなしのグランドスラムを記録したテイエムオペラオー

・言わずと知れたディープインパクト

・半世紀ぶりに生まれた牝馬のダービー勝ち馬ウオッカ

・ディープインパクトの血を受け継ぐ最高傑作ジェンティルドンナ

・才能の開花という言葉が最も似合うキタサンブラック

・唯一の現役馬アーモンドアイ

 アーモンドアイを除く6頭が、GⅠ競争を7勝して競走馬としての生涯を終えている。ディープインパクトは異例の4歳で引退して種牡馬になったため、他の馬のように、5歳や6歳まで現役を続けていれば、その記録を更新することは容易かったかもしれない。ただそのおかげで、たくさんの名馬と、後述する別の金字塔にも到達することが出来たかもしれない。

 アーモンドアイだけが今なお現役で、その記録更新にリーチをかけている。おそらく今年2020年の秋、GⅠを一つ勝って、8勝の記録を打ち立てるだろう。ただ、そう言われて臨んだ安田記念で2着に敗れているため、やはり金字塔の記録というものは、なかなか更新しづらいのかもしれない。もっともファンの目線としては、結果としての記録更新よりも、みんな命がけのレースを無事に終えてほしい、という気持ちのほうが強いことは確かだ。

 打の金字塔としての王貞治がいて、投の金字塔として金田正一がいるように、競走馬には第二の人生が待っている。種牡馬、あるいは繁殖牝馬としての人生だ。サラブレッドはより強い血を残すためにその人生がある。競走馬としての生涯は、本番のようでもあり、前座のようでもある。この考えは人それぞれだ。競馬をギャンブルと考えるか、スポーツと考えるかの違いに似ている。

 そのサラブレッドの、本番のような、あるいは余生のような第二の人生にも、金字塔がある。

 強い血を証明するためのレースに、『ダービー』というものがある。このレースだけはどの世界でも……日本でも例外ではなく特別で、勝ち馬の名前がその日のNHKのニュースで取り上げられるほど、ここでの優勝の価値は他のGⅠ競争に比べてもはるかに高い。

 種牡馬としてこのレースを勝った産駒数も、記録の一つとしてカウントされている。その数は、『6勝』だ。

・フランスで活躍し、下総御料牧場に繋養された名血トウルヌソル
 …ワカタカ(第一回)
 …トクマサ(第五回)
 …ヒサトモ(第六回・初のダービー牝馬で子孫にトウカイテイオー)
 …クモハタ(第八回)
 …イエリユウ(第九回)
 …クリフジ(第十二回・牝馬としてダービー、オークス、菊花賞の三冠)
・日本の競馬を根底から覆したサンデーサイレンス
 …タヤスツヨシ(第六十二回・サンデーサイレンス初年度産駒)
 …スペシャルウィーク(第六十五回)
 …アドマイヤベガ(第六十六回)
 …アグネスフライト(第六十七回)
 …ネオユニヴァース(第七十回)
 …ディープインパクト(第七十二回・ご存知!)
・日本競馬史におそらく一生名前を残すだろうディープインパクト
 
…ディープブリランテ(第七十九回)
 …キズナ(第八十回)
 …マカヒキ(第八十三回)
 …ワグネリアン(第八十五回)
 …ロジャーバローズ(第八十六回)
 …コントレイル(第八十七回)

 と、6勝で横並びになっている。2019年、ディープインパクトが没してしまったため。その記録更新は、残された2020年デビューの産駒と、2021年にデビューするだろう10頭前後のラストクロップにかかっている。余談ではあるが、ディープインパクトは父サンデーサイレンスの没後にデビューした馬だ。もしかすると、その血の再現はあるかもしれない。

 名だたる馬や、長年蓄積されたノウハウをもってしてでも、打ち立てられた記録というものはなかなか打ち破られない。

 もっともな話、記録というものは、結果の集合体でしかない。

 記録を作るためにレースや競争、勝負をしている人も中にはいるだろう。だがそれらは、まず勝つ、ということをしなければならない。競馬も一つのレースで複数の馬がレコード記録を出すことがある。だがレコード記録のタイトルホルダーとして名が残される馬は、勝った馬だけなのだ。まず勝つということがあって、ようやく記録が二の次三の次に現れるのだ。

 そして勝利を掴もうとする者だけが、惜しくも二番になれるのだ。

 2020年の秋競馬には、二つの見所がある。コントレイルの三冠達成が掛かった菊花賞と、アーモンドアイの新記録が掛かったすべてのGⅠレース。そして気の早いことだが、来年のダービーに向けたすべてのレース。ただでさえ面白い競馬に、記録という二文字が乗ると、やはり心はおどってしまう。

 そしてなかなか新記録が出ないということは、それだけ各々の力量が優れてきた証左でもある。競馬に限らず、野球やテニス、プレイヤー同士が相対しないゴルフなどの勝負を見る側として、丁々発止のせめぎあいはワクワクするものだ。

 馬券を買う身としては、優劣のつけにくいことが、このうえなく悩ましいことなのだが。

 ……おあとがよろしいようで。


補足……写真は第一回ダービーを優勝したワカタカです。

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