リトルマーメイドのアリエルはハリー・ベイリーでなければならなかった。

私はリトルマーメイドを見て、「演出のアニメ版、解釈の実写版」という感想を抱いた。
どちらも甲乙つけがたく素晴らしい作品に仕上がっていたので、キャストのことは気にせずまずはぜひ映画館に足を運んでほしい。

実写版リトルマーメイドでアリエル役に抜擢されたのが「赤毛の白人」ではなかったことで物議を醸していたが、アリエル役がハリー・ベイリーでも違和感がない脚本、舞台設定を用意してきた見事な実写版だった。

まず冒頭からエリックは交易船に乗っている。彼は帰国して女王と対面した際に「サトウキビとキニーネを交換した。マラリアに効く」と語る。
他にも作中では「カスピ海」や「スペインの交易船」などのワードが出てくる。
映画に登場する人物たちはラテン系が多い。
このことからエリックたちの王国は地中海もしくはカスピ海の沿岸国家。
ペルシャ、リビア、エジプト辺りでは?と推測できる。
つまりアリエル役のキャストがラテン系であることによって、画面の中に溶け込める絵が作られている。
また人間に化けたアースラはブルネットの白人だったことを鑑みると、アースラとアリエルの対比を際立たせる意図もあったかもしれない。

次にアリエルとエリックが恋に落ちる必然性がアニメではあやふやだったが、これらの問題に実写版では明確になっている。

冒頭、エリックの乗る船で火事が起き、船員はみな脱出に成功するが、マックスは取り残されてしまう。
エリックは燃え盛る炎をかき分けてマックスを助けようとする。
人間とは違う生き物のために自分の身を犠牲にしたエリックにアリエルは「彼なら人魚の自分にも対等に接してくれるかもしれない」と希望を抱いたのだろう。

エリックとアリエルは共に他者が作り上げた箱庭の中での生活を強いられ、自由を渇望していた。
「ここではないどこかへ」という強い希求。これこそがリトルマーメイドの軸を成している。
アリエルの声は誰にも届かない。だからこそ彼女は海の魔女に声を差し出し、人間となる。
そしてついに海底という鳥かごの中から飛び出していくのだ。
アニメ版ではアリエルはアースラとの契約を破っている。にも関わらず、罰されるのはアースラのみ。という公平さに欠ける描写だった。しかし実写版ではアースラが「勝手にアリエルの記憶を消去」という契約詐欺を働く。
アースラが卑怯な手段を用いたことで、アリエルがアースラとの契約を破っても問題ない、としたのは秀逸である。

アリエルが人間になったあと、漁師が彼女を拾って城まで届けてくれる。
若く美しい裸の娘が男の船乗りに拾われたら、普通は無事では済まないだろう。
しかし漁師が聖母マリアに祈りを捧げることにより、彼が敬虔なクリスチャンであり、善人であることが示唆されている。
しかも城に出入りできる人間=身分が確かな者とわかる。

人間になったあとアリエルは女性のためのコルセットもヒールも拒み、裸足で人間の世界を歩き続ける。これもまた誰かが作ったルールには従わないというアリエルの静かな反抗であり、戦いだ。
アリエルは入浴中に壁画の吊るされた魚たちを見て、「魚は食べ物でしかないの?」と疑問を抱く。
ここで冒頭のエリックの救出劇を思い出してほしい。
魚にとって最も恐ろしいものは己の身を焼く火ではないだろうか。生魚を食べる文化がある国は少ない。魚は炎で調理するのが一般的である。
アリエルは地上で炎を見て「美しい」と感想を抱くが、魚を焼く恐ろしいものという前提や認識もあるはずだ。マックスを炎の中から助け出したエリックを英雄視するのは必然だったかもしれない。

終盤でトリトン王はアリエルに「声を上げられず辛かっただろう」と語る。
アリエルの話に耳を貸す者はおらず、彼女は常に孤独だった。だからこそ彼女は声を失くしてしまった。
今度はそうはならない。アリエルの声なき声に寄り添うとトリトン王は約束したのである。
エリックは城の中、アリエルは海の中に閉じ込められ、ここではないどこかを夢見ることである種の現実逃避をしていた。
だからこそアリエルとエリックはお互いの孤独を分かち合い、共有することができたのだ。

これは共に映画を見ていた友人(耳尾さん@mimio_LH)さんからの受け売りであるが、
アリエルがカミスキーをフランダーに持たせ、トリトン王の物真似をさせるシーンがあるが、彼女はカミスキーの使い方が間違っていたことを知り、羞恥心を覚える。
しかし最後にスカットルが「使い方合ってた?」と尋ねると、彼女は「バッチリ」と答える。
これはトリトンが槍の力を使ってアリエルを人間にした=自分の願いを父親が叶えてくれた、自分にとっての正しい道を父親が許してくれた、という暗喩なのだろう。

リトルマーメイドでは冒頭に漁師たちが銛で人魚を仕留めようとする描写がある。
そしてアリエルは船の舳先という銛でアースラを仕留める。アースラはタコの姿をした海の魔女であり、アリエルは「魚は人間にとって食べ物でしかないの?」と疑問を抱いていた。
にも関わらず、彼女は人間のやり方で同族を仕留める。
人魚と人間という境界線を飛び越えて為すべきことを為す。それがアリエルのつかんだ答えだったという演出なのかもしれない。
ちなみにスカットルがフランダーのそばにいた魚を捕食した際に、アリエルもフランダーもセバスチャンも一切言及していない。
このことから生きていくために他の生き物の命を奪っているのは人間も動物も同じだとアリエルは気づいたのかもしれない。


最後にこれも耳尾さん(@mimio_LH)が気付いて教えてくれた点だが、エリックからの最初のプレゼントが翡翠の「リトルマーメイド」であったのは素晴らしい演出だと思う。

七つの海を統治する人魚姫たちの容姿は様々であり、多様性の大切さを訴えてきている。そしてアリエル演じるハリー・ベイリーの歌声は、アニメ版アリエルの声質によく似ていて美しかった。アリエルを演じたのがハリー・ベイリーで良かったと胸を張って言いたい実写版であった。

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