VOCALOIDが聴けない

私にとってVOCALOIDは、実際のところ負の象徴でありました。正確に申し上げますと、負の時代に縋った細い希望でありました。

此れは過去に幾度かお話しした事ではありますが、私の過去から今に至るまでの、20年程の人生は、辛酸を舐めるような出来事が多くございました。勿論、幸福な時間も多々、存在しております。
ただ、私が背負いきれるかどうか、といった甚むものを抱えるには、充分なものでありました。

そのような時を過ごす上で、私の支えとなったものは、“演劇”と“音楽”と“小説”でございました。また、私には勿体ない程の友人等の存在も大きいものであったと言えるでしょう。
此れらは私に色彩を与え、希望を与え、私が “あと一歩” を踏み出さぬよう、此方側へと押し留めました。

今、私は幸せでございます。幸せであり、また足掻いております。私自身を救う為に。私は今、不幸という甘い蜜の中に身体を浸し、自分で自分を救おうとしなかった “私” と、向かい合おうとしております。
少しずつではありますが、向かい合おうとしております。その度に、“私” は牙を剥いてまいります。

私は近頃、VOCALOIDが聴けません。

彼女達は希望であり、そしてその希望に縋り付いていた “私” という負の、その象徴であるから。

今の私には、次々と生まれ出ずる彼女達を、宝箱に大事に収め、偶に幾つか取り出しては束の間、眺めることしか出来ません。

“私” と向き合い、私が私を救う事が出来たその時、また聴くことができるのだろうと思います。

そんな日が、訪れる事を。
『私』はひっそりと祈っております。

#vocanote
#創作エッセイ

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