何も考えずただやる
どんなに自分の好きなことをし、生活を充実させていっても、やりたくなくてもやらなくてはいけないことは出てくる。
通勤、通学、水やり、犬のさんぽ、猫の世話、炊事、洗濯、掃除、事務手続・・・
仕事や子育てとなったら、それが丸ごとこちらの意のままにならない、やりたくなくてもやらないといけない作業だと言っても過言ではないだろう。
そういう、やりたくないことを楽しみに変えたり、ゲーム化するなど工夫していっても、この物質3次元世界では、どうしてもやりたくないことは無数に出てくる。
ある場所からある場所へは徒歩であれ飛行機であれ時間をかけて移動しなくてはならないし、一人暮らしでも食事や洗濯はする必要がある。
そういう日々の中で、この誰かに代わってもらいたい退屈で無意味とも思える作業を怠ると、間違いなく生活は劣化するし、便利屋や代行業に頼むにしてもお金がかかるし見つからなければ自分でやるしかない。
むしろ、心からワクワクするような時間はほんの僅かで、上記のようなやりたくなくてもやらないといけない時間が大半という人も多いだろう。
人間の生活の質を考える上で、このやりたくないことをいかにやってこなしていくかが分かれ目のような気がする。立派な人はそれをこなしていくし、面倒くさがりやはそれを放置して生活の質が下がっていく。
わたしも他人のことは言えない。後者に近い気がする。
今日は何が言いたいかというと、このやりたくないことをこなしていくのに必要なのは、理性や知恵、愛や思いやりというものではなく、「何も考えずただやる」という概念がとても重要ということを言いたい。
理性や知恵で考えると利益にならないからやめておこう、金や力によって他人にやらせようという邪心がムクムクムクと出てきてあまり良い結果にならないと思うし、愛や思いやりモードになると「人間完璧じゃないから手を抜こう」とか「わたしが苦しい思いでやってあげてるんだよ」という感情が鬱積して後々大変なことになる気がする。
理由や意味を考えちゃうと上記2つのどちらかに陥るのではないか?
理由や意味を考えることなく「何も考えずにやれ」ば、傷つく人もいないし負の感情を持つこともない。
これができるかできないか?が本当の生活力のような気がする。
面白いのは、能力だとか愛の深さが全く関係ないことだ。
減断薬の際も、この「何も考えずにただやる」という概念がとても重要になる。
離脱症状を体験した人ならわかると思うけど、薬を止めた時、様々なえも言われぬような苦しみが襲ってくる。痛みや痒みというより感覚がおかしいという表現がしっくりくるのではないだろうか?
・自分がここに実在していない感じ
・自分が自分でない感じ
・他人が自分を噂している、陥れている
・動いたり息をするだけでしんどい
などなど
どう自分が過ごしていいかわからない!
そこで苦しくて、また薬に手をだす、自暴自棄になって再入院になる、中には命を絶つ人もいる。
そこでやって欲しいのは
「何も考えずにただやる」
ということ。
理由や意味を考えずに、ただ減断薬を続ける。起きている症状がどんなに不快でもその時間を受け入れて過ごす。そこに理由や因果関係を考えない。
苦しみや痛みが襲ってくるかもしれないが、理由や深い意味を考えずにただ過ごす。
一定期間が経てば、薬を飲まずに過ごせたという実績ができる。そしてそれが自信になり、さらに継続しようという力になる。
回数をこなせば習慣となり、逆にその習慣を失うのが怖くなる。
気がついたら薬をやめれていたという現実が創られる。
断薬すると何かでそれを埋めわせなくてはいけないと考える人もいるが、それも本来不必要だ。薬を飲む前は、何もなくても生活が送れていたわけだし、禁酒をしたからジュースやサプリメントを飲まなくてはいけないというのもおかしい。自分へのご褒美はあっていいとは思うが。
大切なのは、やめたという実績。理由や方法論は二の次でいい。その実績の期間の長さこそが自信となり習慣となり、さらなる期間の延長へと繋がっていく。
それには
「何も考えずにただやる」
という、理由や意味を考えずにやるという無為の心境。深く考えたり、人生を合理的に考える人ほどやりずらいのかも知れない。
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