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『日本語をどう書くか』(柳父章著)を読んで

行間から昭和の香りが漂ってくる。そんな本だ。柳父氏の生きた時代は私よりも古いけれど重なる部分も少なくない。昭和40年前後。私の生まれた頃の日本は今とはかなり違っていた。人も街並みも価値観や美意識も。もう失われて久しい当時の空気のようなものがこの本には息づいている。

きっとそんなふうに懐かしさに胸を熱くして読む本ではないんだ。柳父氏は戦後日本語がどのように変化してきたのかを日本語の二重構造という観点から解き明かしているのだから。「ホンネ」と「タテマエ」あるいは「ヨソユキ」と「フダン」という二重構造。「お客様にはヨソユキの顔を見せる」「相手のフダンにずかずか入り込むのは失礼」。そんな礼儀作法が今よりももっと厳格に存在していた昔をありありと思い出す。

「フダン」の代名詞やまと言葉の日本に漢文がもたらされた時、日本人は漢文訓読法という漢文を崩すことなくうまく日本語に変換する方法を編み出し、中国文学を取り入れることに成功。同じように英文に出遭った時も、一語ずつ訳語を当てはめ、それを文法的に並べ替えるという方法で英語を効率良く訳すことに成功。さらに効率アップを目指し、ひらがな言葉主体のまどろっこしいやまと言葉は排除、漢字2語の簡潔な単語が新たにたくさん発明された。「社会」「内部」「知覚」「存在」今ではすっかり馴染みのある単語ばかりだが、どれも戦後新しく生まれた言葉らしい。「彼」「彼女」という三人称代名詞もこの時までなかった。

たとえば「濃密」と「こさ」は同じ意味だろうか。「認識」と「知ること」は?ニュアンスの違いを感じる人はいないだろうか。英文を日本語に訳す際、こうした微妙なニュアンスはほとんど無視された。そんなことより迅速に翻訳することの方が大事だからだ。その結果不自然な日本語(直訳文)や馴染みのない新語が巷に溢れ、日本の伝統を受け継ぐやまと言葉のニュアンスは失われていった。

柳父氏はそれがいいとか悪いとかは言っていない。どのように日本語が変化してきたのかを知ってほしいと願ってこの本を書いたのだと思う。実際戦後大量の翻訳本が出版され、国際的に通用しやすい簡潔な日本語が生まれたおかげで日本はまれに見る速さで欧米文化を吸収、飛躍的な経済成長を遂げ、世界の主要国に並ぶほどの存在にのし上がったのだから。しかしそのかげで失われたものがあったことを知っておいてほしいと柳父氏は願っている。
本書からは柳父氏の日本語に対する熱い思いがひしひしと伝わってくる。と同時にどうしたら多くの人に耳を傾けてもらえるか、理解してもらえるか、苦心を重ねている真摯な姿が伝わってくる。

つくづく文章って不思議。昭和の香りといい、書かれていないことがなぜこんなふうに伝わってくるのか。昔美術の先生に「球体を描く時これは丸い!丸いんだ!って思って描けば自然と丸く描ける」と言われたことがあったっけ。きっと溢れる強い思いは行間の至るところから自然と滲み出てしまうのだろう。

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