朝ドラ。「らんまん」から「ブギウギ」へ。

「らんまん」の放送が終わった。
モデルが牧野富太郎で主演が神木隆之介と聞いた数年前から、ずっと楽しみに放送を待ち続けていた。そのドラマが自分にとって観るべき作品かどうかは、見る前から何となく予感があり、数話見ると確信に変わる。今回も間違いなかった。

・「大事な姉様」と呼んで綾を庇う、幼い万太郎。
・万太郎と一緒に、地べたを這って同じ目線で植物を観て、その面白さに開眼させてくれた蘭光先生。
・明治生まれの女性を体現する厳しさと温かさ、大きく力強い愛情で万太郎を包んでくれたタキ。
朝ドラはいつもそうだが、登場人物一人一人のキャラが立っており、それぞれの背景と魅力がある。万太郎という天才が天真爛漫に己を貫く過程で、多くの人が影響を受け、変化してく、そのダイナミックな相乗効果が素晴らしい。感動で涙が出るほど爽やかな結婚の申し入れシーンと言い、そこかしこで万太郎の天性の人たらしがいかんなく発揮され、観ている側はとにかく非常に大きな勇気と愛を持つヒロインの寿恵子を応援したい、幸せになってもらいたいという気持ちを膨らませていく。
一方で、まるで大木が折れるかのように、明治の世ごと幕を下ろしたかのようなタキの壮大な死の後は、万太郎を憎む人と愛する人の光と影が交差し、東京編の人々の心の綾を丁寧に浮かびあがらせていく。特に物語の転換点ともいうべきムジナモの前後は、吉凶入り交じり素晴らしかった。ゆうと福治の会話でしみじみと涙した後に、田邊との隔絶や愛児の夭折など、どん底の不幸が始まる。
ドラマは最後、史実と異なるラストを迎えるが、図鑑に刻まれた人々の名前に涙が止まらない。深い満足感がある。


転職などで出勤時間が変わり、朝の支度中に「まんぷく」をチラ見するようになってから朝ドラが気になり、「スカーレット」以来ずっと見続けている。私にとっては今や欠かせない日常の潤い、一日のスタートである。シリアスだったり感動的な場面があり、ほとんど毎日のように泣かされている気がするが、それでいてそこまで引きず、背中を押されるように仕事に行ける。
どのシーンも素晴らしくとても選べるものではない(多すぎてむしろ選びたくない!)のだが、私がパッと思い出す印象的なシーンは、以下。
「スカーレット」
 なぜ離婚したのかと、息子に問われるシーン。
「エール」
 妊娠の身で、音が歌手への挑戦を諦めるシーン。
「おちょやん」
 どん底の千代の前に、継母が姿を現すシーン。
「おかえりモネ」
 竜巻の被害が気になり故郷に戻ったモネが、意を決して声を発するシーン。
「カムカムエブリバディ」
 錠一郎が、何度もトランペットを吹こうとしていたことが後でわかるシーン。
「ちむどんどん」
 賢秀が清恵を連れ戻すシーン。
「舞い上がれ」
 浩太の死を受け止めきれず、めぐみが涙を流すシーン。

最後2ヶ月くらいになると急ぎ足になってしまうのが、いつももったいない…と思うのだが、どの作品にもそれぞれの良さがあり、甲乙つけがたい。
一番好きなのは「スカーレット」だ。
父がのんだくれのどうしようもない貧乏生活で、喜美子を奉公にやったかと思えば、戻れと言い、喜美子のやりたいことを何度となく諦めさせ、それでも川原家の大黒柱として3人の娘たちに対して深い愛情を持つ。喜美子は長女として家を支えながら、次第に自分でやりたいことを見つけ好きな人とも結婚するが、父が死んでも泣くことができない。同業の夫との関係性にも次第に苦しむようになり、才能を秘めたまま発揮できずに時がたち、あるとき山が噴火するように爆発して才能を開花させる。陶芸家として成功するものの、失ったものは大きかった。家族が去った広い家で一人きりで暮らす喜美子に待ち受けていたのは、大切に育てた息子の病だった。

自分のことを分かっているようでわかっておらず、喜び一つとってもいくつもの感情が折り重なって単純な言葉では言い表せず。善も悪も同居して割り切れず、どうしようもないのが人間で、人生であるといえるかもしれない。その背景には歴史、その時代の文化、成育歴の違いもあるのであって、生きている中で何度もわかったような気になるものの、結局何もわからないのだなと、思い直す日々。「おかえりモネ」で、はっきりと「わからない」というスタンスを取りつつも、わからないからこそわかろうとする姿勢が大切なのだというメッセージは、胸を打つ。

元々は読書好きだった私が、創作者としても読者としても本から完全に離れて10年以上が経つ。代わりに観るようになったのは、映画であり、そして今はドラマ。
文学的なもの、人間のわからなさ、不合理性、その悲喜こもごもに関心があり続けて、しかしいつの間にか本には作者と1対1になる息苦しさと嫌悪感に苦しむようになった。作品のいたるところに作者がいて、文章の技巧には息遣いすら感じられ、あまりにも生臭い。どの登場人物にもセリフにもエピソードにも、作者そのものの願望が見える。作品は作者そのものであり、投影であり、願望だ。
映画になると作者との1対1という関係性から解放されるためか、その色が薄らぐ。ドラマになると、もっと焦点がばらけて、よりリラックスしてその世界観や音楽、演技、メッセージを楽しめるようになる。裏方の人の存在まで感じ取れるようになるからだ。
ドラマは総合芸術とっても良いかもしれない。最近、そのように考えている。「らんまん」は私にとって、その感覚を確かにする作品となったように思う。ドラマの制作に関わったすべての人たちが織りなす、素晴らしい化学反応。次の「ブギウギ」も楽しみだ。「まんぷく」の再放送も。

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