お金の一万二万
くらいしか万を意識することが日常に無い。
 
一千を十倍にした数。
数の単位以外に数が多い事自体を意味する。
よろず。
 
 
田舎者が東京駅を歩く。
人が多いなぁと思う。
全部これ自分と同じ感覚があって思考があって人生があって関係があって歴史があって法則があって と考えてくとなんだかその途方も無さと親近感の振れ幅で頭がぐわんと音立てる。
 
 
私も含めてこの一個一個が群れを成し集団となり駅構内を次の電車へ乗るための方角へ右足左足と交互に前へ出す。
一体何人もの人が毎日ここを通り過ぎてゆくのだろう。と思ったのも束の間 そういうことを考えた人がすでに居てそれが交通量調査のアルバイトであり、そのカウントウォッチを親指で押すのもまた人であり そいつらもこの地球上に何人いるんだ。と気付いてしまって自律神経が狂いかける。

 
ゼロから1に成る瞬間は掴みあぐねるが
1がいっぱいあって万に成るのはなんかわかる。
 
 
このいっぱいの人たち
この中に知り合いがいれば挨拶するし会話が弾めば私とあなたは一対一だ。
それが男女で間に子供をもうけたら3人でさらにその子が成長し他の誰かと子供をもうけたら合わせて5人だ。
これを延々繰り返す。
すごいいっぱいになってゆく。
野球チームが出来るくらい、ビッグダディとして取材がくるくらい、セミナー商法が出来るくらい、渋谷スクランブル交差点を再現できるくらい、戦争出来るくらい、いっぱいになってゆく。
 
 
そういう事を考えて

もうこれ以上いたら気持ち悪いなぁ

と感じるぐらいがちょうど

万 じゃないかな。
 
 
 
ちょっと神の視点入ってる。
 
なんだか まん って響きはスピってる。
 
 
個人が数え切れる限界が万くらいな感じがする。
これ以上行くとあとはなんかバグってきそう。
それで一括。あとはもう領域が別。
Twitterのフォロワーが万に達してる人はもうそいつが喋ってる感じしないもん。
 
 
私のnoteのフォロワー見てくれ。
3人しかいないぞ。

おれの言葉で喋ってる感じするだろ。
 
これが万策尽きるじゃ。
 
 
 
あ〜
 
誰か一万円くれ。