靴紐を結ぶのが苦手で

よくほどける。

もしくはバランスの悪いまま固く絡まってしまう。
 
 
もう子供の履く靴みたいなマジックテープでいい。
と思うくらい。
マジックテープの靴しか載ってない通販カタログは無いものか
と思うくらい。
そのカタログが溜まってきて捨てる時に束ねてビニール紐で括る のも煩わしい
と思うくらい。

何かを結ぶのが苦手だ。

 
 
もちろんのこと 編み物も苦戦を強いられる。

数少ない裁縫経験はやはり家庭科の授業

穴に糸を通すところでもう挫折している。

 
まち針を指すための絹をつめた布のクッションのようなもの
あれを見るといつも なんか自分の心のやらかい場所にいっぱい針を刺されてチクチクやられているような気持ちになって少しテンションが下がる。

針の穴に糸を通しやすくする貴婦人の横顔が描かれてる銀色のあれ
あれも何回も使ってるとなんか貴婦人に鼻で笑われてるんじゃないか と勘ぐってしまう。
 
あと、これは神経過敏になりすぎな気もするが
手芸にイライラしている自分が 今服を着ながら それと格闘しているのが 恥ずかしくなってくる。
なんか菩薩の手のひらの上で踊らされてる気分になる。
「編み物 出来ない奴が 編み物に包まれてるやん」とセルフツッコミを入れてしまう。
それを羅髪のブッタが上から眺めている。

 
 
網羅の羅は
絹で織った薄物を指す言葉ではあるが
もともとは鳥や小動物を捕獲する網を意味するらしい。

だとすれば、網羅は網網。
もうこの時点でこんがらがる。
チゲ鍋とか 危険が危ない とかと一緒。重複渋滞。
 
 
 
細かい何かの積み重ねが全体を形どる何かに繋がってゆく
神は細部に宿るとは よく言ったものだが
ぶっちゃけ その変わり目をきちんと捉えられてはいない。
つまり網羅出来ていない。
 
 
何かの手順を覚えるのも苦手
海馬がヒヒ~ンと鳴いてはくれない。
仕事とか料理とか電車の乗り換えとかサブウェイの注文とか 毎回「どんなだったけ?」ってなる。
ただ、ドン・キホーテのテーマ曲とかエロ動画サイトへの辿り着き方とか今書いているこの文章とかは 覚えようと思って始めたわけでは無いがなんか勝手に出来てるし それに取り組んでる時いちいち頭で確認をしてはいない。
 
神が細部に宿るなら
神を作り出した民は 最中に宿るのではないか。
 
 

 
民は最中に宿る

 
 

 
ダセぇ 言葉だな。