哲学書やビジネス書、論文、攻略本、契約書
読み飛ばして最後から見たりしちゃう。

我慢が出来ない。

この世に数多とある長文、堅文に対し
私は右目から入れて左目から流すことに抗えない。

文字は変態性の高い情報処理だと思う。

絵の簡略化と音の形骸化
延々と行われる記録分析発案設定作業。
執着心をクレバーと呼ぶのは遠回りか堂々巡りか。

ロボットを作るんじゃなくて
自分がロボットになってしまおうという発想。

そんな感じのイズムを長文を読むと感じる。
例えもよくわからん。

よくニュース番組で流れる
下着泥棒が捕まった時に
今まで盗った下着を全部体育館に並べる作業。

そんな感じの偏執気質を長文を読むと感じる。
こっちの方が近いか。

ただ私は文字が嫌いなわけではない。

官能的な奥深さに関しては
文字に勝る情報処理は無いのではと思う。

だからコンビニのエロ本問題も
絵や写真じゃなくて全部文字にしちゃえば良いんだよ。文字表現ならそんなに引っ掛からないし難解にすればする程マニアにしかわからないものになるから。置いてあることでより興奮も出来る。即解決だと思う。

字は思想の凝縮であるわけで。

時短であるのにその字が読める人にしか伝わらないようになってる。そこにギミックがある。
今私は東京にいる。あらゆる看板が私の左脳に文字を飲み込ませる。駅名も飲食店も電気屋も風俗の料金プランも選挙ポスターも立ちション禁止も神を信じますか?もあらゆる文字が文字が文字が。

脳内で音読してしまう。

響きが気になる。

ゴシック体は重苦しく明朝体は流れるように

ヴィレッジヴァンガードのポップはしょこたんで
喫茶ルノアールは草刈正雄
ドラッグストアの値段表記はヘリョン
ガスター10は西村雅彦

いちいち再生される。

甘美な音色を奏でる楽譜の如く…

だからなんだと言う話だが。



以上です。
私なら読み飛ばします。