始まりはいつも唐突でさりげない。

生まれた時の記憶の話だ。つまり覚えてない。

産道の狭さや逆光の眩しさや酸素濃度の濃さや空気振動の細かさや情報質量の多さや時間経過の緩やかさ、それら全てを忘れてる。

起承転結の起の部分。そっくりそのまま抜けている。


 
 
今こうして文章を書いている私はたしかにここに存在している事が私がこの世に生まれた事があるという紛れもない証拠であるのにも関わらず、私は生まれたことがあるという実感や思い出がまるでない。持ち合わせにない。在庫にない。保証もない。クーリングオフもきかない。これでやってくしかない。ごまかしごまかし。

そう、誤魔化してここまでやって来た。ただやはりここに来てそれがどうも気になる。

果たして私は生まれた事があるのか?

 
今こうして文章を書いている私の後方から「ドッキリ」と書かれた看板を持ったタレントがテッテレ~♪というSEとともに現れてくれたら、私も「うわっ!騙された~!いや、おかしいと思ったんだよな~」と気持ち良く言えるが、どうやらその気配も隠しカメラもスタジオでウケてる様子も微塵も感じない。「私、生まれてない説」は立証されない。 
 
どうしてくれよう。いやどうしてくれようもどうもこうも無いのだが、どうもこうも無いから、そのどうもこうもをどうにかこうにか手に入れたいどうしようもなく。どうでもいいかもしれないが。どうなることやら。

 
 
私の一番古い記憶はエスカレーターを逆走して下って来る父親の姿だ。
これは私が1~2歳の頃デパートで迷子になった時その姿を上の階から見つけた父親が駆けつけて来てくれた時の映像だ。
それだけしか無い。これより前の記憶は全く無い。
あるんだろうけど思い出せない。脳の中の記憶を司る海馬に何らかのストッパーがかかってしまっているのだろうか?
そんな気がしてならない。 

嫌な記憶だから排除しているのだろうか?トラウマ的な。生まれるという体験は個人にはショックが大きすぎて受け止めきれないからそれがフラッシュバックしないように脳の防御装置が作動しているのかもしれない。だとしたら死ぬのもそう怖く感じなくなる。同じようなもんだから。きっと死んだ後は死んだ時の記憶を忘れてるのだろう。

そう考えるときっと生まれる前ってのは死ぬ前と同じような気持ちなのかもしれない。

生まれるのはとても怖いのだろう。

 
 
そりゃそうだ。生まれた事が無い奴は生まれた後の世界がこういうものだと知らないのだから。
自分が生命体であることや、人間であること、男や女であることや、二足歩行で歩くことや、食事や排泄をすることや、髪の毛が伸びることや、青い光を見ると落ち着くことや、みょうがの天ぷらが美味しいことや、満18歳以上から選挙権があることや、血液型占いが定期的に流行ることや、高須院長はCMでヘリコプター乗ってる時は面白いが そのノリでバラエティに呼んでもあんまり良い立ち位地が見つからず消化不良で終る事が多いことや、それでそのままフェイドアウトしていったのがビッグダディであることや、鼠先輩って今なにしてるんだろう?ってことや、そういう世界だとは知らないのだ。

なんかろくな世界じゃなく聞こえるが、そういう世界でも知ってるか知ってないかだけで大分その恐怖心は変わるんだろうな。そして生まれた後は生まれた瞬間の記憶が無いのと同じように、死後の世界を知らないから死ぬ事に恐怖心を感じてそして死んだ後死んだ瞬間の事を忘れてしまうのでしょう。

 
 
ん?

だとしたら

生まれたことがあるから生きている

と今 私たちは思っていますが

もしかしたら、 実はもう
 
死んでるのかもしれませんね 。