あれは夏の終わりの事でした

あれは空がまだ青い夏のこと

君がいた夏は遠い夢の中

あの夏の太陽追いかけ裸足で

 
夏の 「あの」感は 強い。

なんというか 皆さんご存知の感 とでも言うか、連体詞としての「あの」が強い。
共通認識を強いられる「あの」感。知らねぇよ。って気分になる。夏単体は嫌いじゃないけど。

 
どうも入っていけない。
高校野球夏の甲子園、真夏のオオカミくんには騙されない、サマータイムマシンブルース
なんか入っていけない。なんとなく第一印象で。見たら面白いとは思うけど。

ひねくれているのかもしれない。
それを踏まえた上で、夏を真正面から楽しめないという気持ちがいわゆるリア充、陽キャ、ネアカ的なものに対するやっかみだったとして、それはどうでもいいんだ。なぜ夏は「あの」感が出やすいのでしょう?

夏の「あの」感。

それは他の季節の春秋冬と比べて圧倒的ではないでしょうか?
あの春、あの秋、あの冬、どれもまぁしっくりこないわけでは無いですがそこまで大差が無い。
あの夏。
やはり夏だけは圧倒的に情景と湿度が浮かび上がってくる感じがします。
なぜでしょう?

 
まずこの夏の終わり的な切なさという概念が日本以外の絶対神のいる宗教にはあまり存在しないそうです。なにかが消滅してゆく時に沸き起こるセンチメンタルな気分は四季の多様な日本人独特のもの。

加えて男性ホルモンのテストステロンが1年の中で最も高まるのが6月頃と言われており、女性が妊娠するタイミングは肌寒くなってきた11月頃から増えてくるそうで、人間には繁殖期は無いですが恋愛期的なものがあるならそれはその間の夏から秋にかけて高まる事になるため感傷的な出来事自体が多い。
 
さらに気圧の変化と自律神経の関係や太陽光量の変化、夕焼けの色が1年の中で最も濃い時期(日没を見ると活動停止を知らせる遺伝子がヒトに組み込まれている説)など季節の変わり目の落差が激しいのが夏だから記憶に刻まれやすいなどの理由があります。

どうでしょう?
まぁ理由はそうなんでしょう。
「あの」夏感は。
共同幻想としての「あの」感の理由はそうなんですがこういう具体的なものがほしいわけではなく。
私が言っているのは「これはなんだ?」と言う感覚。
「あの」夏という「この」感覚はなんなんでしょう?
 

あぁ、ダメだ考えるのが面倒臭くなってきた。

脳が暑苦しくなってきたんで
この夏に関して考えるのやめます。