母なる海とは言いますが

どこらへんが母たりえるのでしょう。

海という漢字の旁は 髪飾りの付いた母をイメージしていると言われています。毎。

ラテン語で母を意味するmaterは 海を意味するmareと語源的に近かったり。

「うみ」は「産み」に繋がるのではと。

 
やはり胎内の頃の微かな記憶を想起されるのでしょうか。

血液の成分は約40億年前の海水と同じと言われており、陸に上がった生物はその体内に小さな海を宿すことで生き長らえる事が出来るようになったそう。

生命体そのものが海の一部っぽいですね。
そのざっくりとした集合体でなされてるのが海。
今の言葉で言うとプラットフォーム。
生命体のプラットフォームが海なのだと。

共感しにくいかもわかりませんが
一応あるあるネタとして喋ってみます。

私、人や物が乱雑にあるゴチャっとした所が好きなんです。
マンガ倉庫とかぐるぐる大帝国とかの大型リサイクルショップ。
サービスエリアや駅周辺の商店街や空港のお土産屋。
ゴミ屋敷の住人が出てくるテレビ番組とかカウントダウンTVとか さくらんっていう映画の色彩美、きゃりーぱみゅぱみゅのPV、昔の篠原ともえ。

これらを体感した時、大体同じ気持ちになる。
そして
子供の頃、海で泳いだ時の記憶も同時に思い出すんですね。

 
情報過多系の刺激を受けた時
海っぽいなぁって思う。

泳いでいるような気持ちになる。

脳の処理としての取捨選択が
水流の掻き分けで自らの身体をある方角に進ませる感覚と似てるのか。

 
水というこの掴みどころの無い
ただ無いと死ぬ
これは のれんに腕押しよろしく
有るのか無いのかよくわからんです。

それがいっぱい集まって厚みを帯び流動し時に収まり時に漂い時になにかのきっかけになったりならなかったり当たり前すぎて平然と忘れたりする。

これを母性と似てるとするなら
なるほど
そうかもしれない。

 
 
今あらためてNHKの「おかあさんといっしょ」を観ると、あれもゴチャっとしてるなと思う。
特にエンディングの子どもたちと踊るとこ。
黒潮かな?と思う程の流動性。

 
逆に言えばそれはある法則によって動かされている。
その受け皿からははみ出ることは無く。
それも母性、祖先性と言ってしまえれば合点が行くのかただのマザコンや脛かじり精神的なものか。
 
思い巡らせてみてもキリがない。 

 
まぁ なにはともあれ

いい感じに 老衰したいものですな。