感覚が伝わらない時があって

伝わる人と伝わらない場合があったりして

それは人それぞれだから

そういうもんか

と思う事が多いのだけど
 

そういう感覚が伝わらない、
もしくは自分と感覚が違うのだろうと感じた瞬間に

 
 
 
「左 っぽいなぁ…」

 
 
 
 

感じる感覚 わかります?

 
 
大分ややこしいですが 。

  

伝わらなかった場合

かなり説明を要するので、それが面倒くさい人は飛ばして、ながら見、速読をして、なんとなくわかった気になるのをオススメします。私の偏論なので。

 

まず 右感、左感という
よくわからない概念があったとします。
ざっくり言うと世の中のあらゆる2極化をなんとなく分けた場合 右っぽいか、左っぽいかという選別。

それは単純に
右利きが言語を司り
左利きが空間を司る

とされている脳の構造の話から

SMにおける
サディスティックは右感があって
マゾヒズムは左感がある

という性的興奮の尺度まで

ありとあらゆる左右対称があるわけです。

ヒトラーは右っぽく
ガンジーは左っぽい

自殺行為は右っぽく
死刑制度は左っぽい

テクマクマヤコンテクマクマヤコンは右っぽく
ラミパスラミパスルルルルルは左っぽい

そう正直なんでもいいのです が
だからこそ奥深いし揺るがない。

つまり今適当に論った私の左右感が
しっくりくる人は私と感覚が近いと思う。
思うだけだけど。

 
 

ここからが本題なのですが

共感と違和感が
コミュニケーションを計るとき重要材料だったとして。

共感というのは
やはり積み重ねるものな気がするのです。
データ化する。統計を取ってゆく。
わかるわかる。というのが一体感や仲間意識。村社会根性。のようなものを形どってゆく。

それに対して違和感というのは
なんかこう全体的にふわっと感じとるもので。
むしろ混沌とさせる。クリエイティブな行為。
なんじゃこりゃ。という雑味や猜疑心。危機管理能力。的なものの一部に自分の身を置いてく。

 
 
そういう違いな気がするのです。
それはどちらも生物の進化そのものを含めた生命活動の中で必要とされた能力で、そのバランスが人類は若干 共感が多めの動物なんじゃないでしょか。群れる生き物だから。というだけで違和感というものもけっこう大事な感覚だと思うのです。

 
共感出来ないし、何だったらムカつくから嫌いなくらいなんだけど そう感じている自分含めて なんか面白いじゃぁないですか 。

というかそういう綺麗事や自己啓発的な事を提示したいわけでもなく、自分によくわからない感覚というものは右利きの人からしたら左手を使ってなんかやる みたいな事で 使いこなしてないだけで なんかそういう感じが別に確かにあるのであろう という雰囲気は脳はつぶさに情報処理していると思うのです。

 
共感は右感があって
違和感は左感ある

 
 
うだうだなにかを垂れ流しましたが

 
なので私は

共感出来ないものに出会った時

 

「左っぽいなぁ…」
 


 

感じるのであった 。

 
 
 
後半へつづく


 
うそ

つづかない

おわり。