沖縄出身と名乗ると
ほがらかなイメージを持たれるのか
第一印象として悪くない感触の時がある。

実際は 私個人ほがらかでもなんでもなく
かといって濃ゆく熱い自己主張も足りず
沖縄出身問わず単純にあまり存在感の無い人という枠組みに分類されやすい。
というかそれが楽だから好き好んで自分からそこに入りに行くときが多い。

ただ
この時ちょっとだけ

その精神性が南の出身っぽいな

と自分で思う。

 
 
カメハメハ大王的なこころざし。
 
風が吹いたら遅刻して
雨が降ったらお休みだ

みたいな道徳観が好きだ。

宮沢賢治的な

アメニモマケズ
カゼニモマケズ

みたいな勤勉論とは真逆。

ソウイウモノニワタシハナリタクナイ

と思ってる。つかれるから。

 
 
だけども
それはいわゆる ゆとり世代特有の
「無駄な事したくない」
みたいな冷めた視点ともちょっと違う。

 
「無駄な事しかしたくない」だ。
 
 
むしろ。しいて言うなら。

 
 
つまり考える事の放棄。
沖縄の人ってそういうところある。
客観視してみると。
もちろんむろん人によりけりますが。

掘り下げた県民性は
マイペースや人情や自己開示や野性味とは異なり
人見知りや内弁慶やスピリチュアルや芸術気質でもなく

 
暑いから考えたくない

 
だと思う。

 
 
これがでかい。
単純に。土地的に。

もう言ってしまえば短絡思考。
良くも悪くも。
 
それは感情や感性でものを訴える
というレベルの話ではなく
感情や感性のある部分においては捨ててしまってる
自らの感覚を放ったらかしてる。
って感じ。

良い面で言えば
長寿県であり
悪い面で見れば
肥満県であり

良い面で言えば
出生率が高く
悪い面で見れば
離婚率が高い

良い面で見れば
幸福度が全県で1位で
悪い面で見れば
ホームレスの割合が全国でトップ

これらは全て
あと先を考えてない
考えないようにしているというコインの裏表

 
 
ブッダが悟りを開いたインドの苦行は
最終段階は木のほとりの影で何日間も座って瞑想を行う。
それによって無我の境地を手に入れる。
 
 
これはたぶん
暑いからだと思うんだよね。

サウナの後の水風呂と一緒だと思うんだよね。
あの血流の巡りを悟りだと勘違いしてると思うんだよね。
 
 
暑い地方の奴ってこうなる。
南のやつって悟りがち。

悟りってつまり考えないようにする
ってことだから。

諦めるって仏教用語で
明らかにするって意味からきてるから。

つまり暑いからもういろんなこと
めんどくさくなって考えるのやめただけだから。

真理なんて無いから。

なにからなにまで無駄だから。  
 
逆にそれが良いんだから。
 
っていうようなことをわかったような気がしてるだけなんだから。

 
それを証拠に私のこの文章は思いつき。
さっき適当に頭によぎったどうとでもなる事を書いている。
考えるのをやめたままクリエイティブが死んでゆく。
 
 
南無〜