もし1億円あったらどうするか?

よくあるベタな たらればな話題のひとつだが
あえて考えてみると私はいかに自分が貧困な人間かがわかってしまう。

ようは 特になにも思い浮かばないのだ。

せっかく1億円もあるのに。

 
ここで言う貧困とは 発想の事であり、気概の事であり、性質の事であり、欲望の事であり、思想の事である。
そのくせ 生命線だけはやたら長い。

 
ぼんやりと抱く感想は
明日への生活の不安や
社会的地位の踏みしめ
日常での細かな計算 それらの解消ぐらいで
その金額でなにかをしたいかと言われれば 美味しいものを食べてたくさん寝たい。だ。

そのあとに旅行に行きたいとかエロいことをしたいとか音楽を聞きたいとかお酒を飲みたいとか友達と喋りたいとか、そういった願望はあるが それは別にできればって感じだ。お金があればそこに注ぐだろうし それに質が伴う事もなんとなく知ってる。だが喉から手が出るほどそれらを求めていないし、というかおそらくそれらは全て暇つぶしの種類に過ぎない。あぁ、なんとつまらない人間か 。

 
私にとってお金は楽なのだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

そして楽という感情を状態化させると、
すなわちそれは暇なのだ。

 
 
なので唯一残された使い道はギャンブルか宗教だ。
ただ、どちらもさほど興味ない。
もしくは 一般社会常識の範囲的な漠然で済ませている。
クリスマスやお正月を祝ったりコンビニで買い物した時に引かされるなんかのキャンペーンのくじ引きでペットボトル飲料が当たれば満足してしまう。

 
 
思うに
このお金というものは 価値 という本来目に見えない抽象的な概念を可視化する事によって得た理解の事であり
それをより多くの人が把握していったり時間がたってゆくにつれて、元々の意味や核心からズレや変容を余儀なくされてしまったのではないか。

 
哲学が一番近いと思う。
それを「哲学」と呼ぶ行為に一番近いと思う。

「人間は考える葦である」というように
「お金は価値のある葦である」ではないか。
 
 
 
意味ねぇんだ。こんな紙切れ。

 
 
と感じてはいるが

実際それを声を大にして言い切れるほどの余裕がある訳ではない。

とほほ~

 
 
誰か1億円ください 。