私はどうやら印象が薄いらしい。
 
顔付きとか声色とか立ち位置とか雰囲気がぼんやりしてる。
 
こう言うと

「そんな事ないよ」

的な事を言ってもらえるのだが

こちとら何十年と生きてきて確固たる実感があるのでそれに基づいた おそらく存在感が無いのだろう という事実確認には有り余る根拠がなかなか拭えない。
 
 
なぜそんなことを抱くようになったのか

 
第一に
よく他人に間違えられる。

メガネをかけて日常生活をおくっているのだが 1~2回くらいしか会った事のない人に、同じ様にメガネをかけた共通知人に間違えられるのだ。
非常によく。
隣にメガネをかけた人が居たら十中八九、二択をミスられる。
そして逆にその隣のメガネは私に間違えられない。

これはおそらく
私のオーラ的なものがそのメガネという共通パーツに喰われてしまうのだ。

つまり初対面の印象がメガネ。
だから同じメガネでちょっとでも私より印象の強い奴がいたらそいつの中に私は取り込まれてしまう。
印象のパラサイトだ。
 
 
第二に
親子や兄弟に間違えられる。
 
これも先程のパターンと近いのだが
1~2回以上会って認識されだしたタイミングで、また共通の知人や私の隣に居る人などに「似てる」とよく言われる。
歳が離れていようがいまいが実際あまり似てようが似てまいがなぜか血縁関係だと思われるのだ。
 
これも結局、私の主張が薄いから まだ関係性が構築されてないと ちょっとでも髪型や服装が近い人物が目に入れば同遺伝子だと錯覚させてしまう。
この度に訂正を強いられる。めんどくさい。
関係性のカメレオンだ。

 

第三に
「こないだ、○○居たでしょ?」とよく言われる。
居ないのに。

つまり私みたいな奴がいっぱいいるのだ。
この地球上には。
平均顔なのか平均人間なのか、休日などに「○○で見たよ」とか「あの時 挨拶出来なくてごめん」とかよく言われるが 大体その時そこに足を運んではいない。
これは初対面であろうが交流が長かろうが起こりうることで。
ぼんやりとした印象なので漠然とした赤の他人の総体に間違えられる。
ドッペルゲンガーとして誤作動だ。
 
 
他にも
三回ぐらい挨拶してるのに「はじめまして」と言われる。
出席を取ったのに休みだと思われる。
沖縄出身なのに東京生まれ東京育ちと思われている。
長男っぽくない。B型っぽくない。夏生まれっぽくない。と言われる。
メガネを外すと誰だかわからない。
父親が会社を経営しているのだが、初めての取引先に行くと かなりの確率でその時一緒についていってる部下の方が社長と思われて父に名刺を渡されるのが後回しになる。
などなど、枚挙がない。
これは子供の頃から今までずっとそう。

 
存在感が希薄だ。 

視覚情報を介して得られるこの厚みの無さはなんなのだろう?
 

奥行きを感じられるか

以前も言ったが
見えてる物が全てで
それ以外の余白の部分は想像でしかない。
ただその想像の部分が紛れもなく世界のことを指している。
 
 
皆、私を通して私以外のなにかを見ている。
見えないものを見ようとして覗きこんだ望遠鏡が さしずめ私だ。
 
 
 
それでもいいや。