未定、未開、未完
未知、未来、未確認
未熟児、未成年、未亡人
未解決、未経験、未公開株

未のつく言葉
全てを記すのは途方もありません。

まだその時がこない。
まだその事が実現し終わらない。
いまだしい。

と言う意味の未。
 
 
雨宿りをしていて
どんどん雨音が強くなる。
早く止まないかなぁと思うほど
その勢いは増してゆく。
そこからさらに待ち続け少し雨量が弱まってきた時
止んできたと判断して多少の小雨であればそのまま外に歩き出してしまう。
 
 
この時 いつも少しだけ思うのは


「雨宿りを始めた時の雨量と
雨宿りを止めた時の雨量
実はそんなに変わってなくないか?」

という事だ。


つまり止んだと思ってるけど結局濡れてるぞ と。

一回強く降ったから それが少し収まっただけで なんだかもう大丈夫だという気分になってるけど 別に最初の雨粒と大きさ変わってないから 靴下の先のびしょ濡れ具合は同じになるぞ という事だ。
 

なぜあの時止んだと思ってしまうのか。

なぜまだ雨は降っているのに
それを無に成ったとカウントしてしまうのか。
 
 
休みの日に勘違いして
わざわざ早起きして学校に行ってしまう。
そこで誰もいない校内を目にし やっと今日は日曜日だ と気付く。その時
 
「やった。今日休みか〜」
 
と なぜか得した気分になっている。


いやむしろ、休日の時間が減っているから損しているのに ラッキーだと感じてしまっているのはなぜか?

完全に無駄な早起きなのに家に帰ったらまた寝れるという事が 無に戻ったと自分の中でカウントしてしまっているのはなぜなのか?
 
 
出掛ける前に 忘れ物をしないよう事前に 玄関付近に 重要書類を置いておく。
「よし、忘れないようにしよう」と指差し確認と頭の中で復唱をして 無事忘れる。
 
 
あの確認作業はなんだったのか?
 
もはや「忘れないようにしよう」という意識を持つ事自体がゴールとなりその安心感から無に帰り 逆に忘れてしまうという本末転倒なこのシステムエラーは一体なんだというのか?



今 適当にあげつらった エセ無 たちは
日常に潜む小さなビックバン
 
実際 宇宙の歴史もこんなもんかと
わたしゃ思うのです。

無から有が生み出されるのではなく

有がうっかり無になっちゃう。

実は一回来たことある場所なのに忘れちゃう。

初対面じゃないのに「始めまして」と名刺交換しちゃう。

何度男に騙されても「この人こそ私の運命の人…」と酔っ払っちゃう。

そんなもんだと思うのです。


無 ではなく 未

0という概念はそもそも数字という解釈自体が無ければ生まれない。

 
そう
我々はあらゆる事を忘れてゆくのではなく
覚える事を捨ててゆく 。

最初になにを覚えたかもう忘れているでしょう?
覚える事より忘れる事こそが叡智ではないでしょうか。

未発達。



そうです。
いろんなことへの言い訳です。