S

サディズムの話をしたくて

私はSMに対して造詣が深い訳では全く無い

のですが

社会生活を営む中で、答えが出ずに こねくり回している案件を書いてみようと思い。

日本人的なのでしょうか

この

集団意識を対個人に向け 放出しようとする衝動は。

サディズムの定義

身体的に虐待を与えたり
精神的に苦痛を与えたりすることによって性的快感を味わい興奮を得る性的嗜好。

嗜虐性向の強い小説作品を発表したり
実際にSM行為を娼館で行っていたというフランスの侯爵マルキ・ド・サドの名前に由来。

加虐衝動。

これは大なり小なり誰しもある欲求だと思うのです。

それを肉体的、精神的に楽しむのは人類が与えられた叡智 とまでは言わないですが暇潰しのひとつ。

私が感じているのは

社会的SM

というものがあるなと。

収入差、年齢差、文化差、地域差、身体差

上げればきりが無いですが

そういった差異を踏まえた上でのコミュニケーション、マウントの取り合いというプロレスがお遊びを超えてしまう。

無意識に無自覚にも。

気の迷いでわざとの時もあるでしょう。
私もあってしまう。

サディズムに罪悪感は最高の友。そして悪友。気を付けなければと思っても つい。

例えばテレビを観ていて吐く愚痴も

SNSで行う自虐的な呟きも

世代や異性に対する漠然としたイメージでの区切り方も

政治への不信感に対する不信感も

「はい、すべった〜」というコメントのタイミングも

全て社会的SM

我々は見えない他者との関わり合いを強いられて そしてそのストレスを個人に向けてしまう。

そう、今私が我々という言葉を使ってしまったように。

とにかく
安全圏から石を投げたくなってしまうのです。

好奇心が恐怖心を上回った時に常習性を帯びるのが万引きや痴漢であるように。
スーダラ節よろしく投げてはいけないからこそ投げてしまうハラスメント。

一体これをどう捉えれば良いのか。

やはり 自分が変態だと 知ることだと思う。

そうこの行為はエロいのだ。

SとMの関係性は自意識と自我の違いに似る。

自意識は自我の上に成り立つ。

自らが自らである理由にどれくらい外的要因を必要とするのかがSMの真理。

すなわち

Sはコンプレックスが強く

Mはプライドが高い

どちらも同じ液体であり誰しもに組み込まれた遺伝子

その比較摩擦が起こる時の恥辱と優越は本能

もとい癖

そしてそれらを擬似的に満たす行為
ごっこ だからプレイと呼ぶ。

Sは他者がいないと、S 成りたり得ない。

SはサービスのSであり

スモールのS または しょうもないのSでもある。

さみしいのSであり切ないのS

そんなもんのSであって それが私のS

Sばらしいではないですか

Sれで良いじゃないですか

人混みに対する不満を持った瞬間
「お前もその原因の一人だ」となるのと一緒

つまりそれらを自覚し
あてがえるべき所にあてがえて
迷惑にならない程度に困惑させて楽しみたい。

そういう興奮をしたい。

それしかないのではないだろうか。

私はこういうことを思いこねくり回し

書いて発表している。

そういう変態と自覚をしていて

そして今まさに興奮している。

S礼致しました。