神様はお好きでしょうか?

私は好きでも嫌いでもありません。

普通です。神様は普通。

 
よくぼんやり思うのは、思春期の頃 エロい夢を見て起きた後
頭があまり動いていなくて、何となくの女の人の裸のようなものを感じた気がする
という状態。
 

あれが神様なのではないかと。

 
 
どういう事かというと

私は普段あまり夢を見ないのですが見たとしてもあまり視覚が働いてない感じで
「見る」って感じじゃないんです。なんか漠然と「人っぽいもの」を感じる気がするだけなんです。

つまり
性欲とか食欲とか、そういったものが造り出す虚像

そのひとつが神様ではないでしょうか。

 
もちろん概念だけでなく脳の現象認識だけでなく
宇宙の端に行けば科学で解明できないなにか神様っぽいものが居るのかもしれない
くらいの無神無論者なのではないかと思ったりしますが、
 
 
もっと言えば

道端で寝ているホームレスも
いつも通ってる深夜のコンビニ店員も
長年活躍しているAV女優も
血が繋がっていると思っていた親族たちも
鏡に映るおそらく自分らしきこの人物も

もしかしたら神様なのかもしれません。

 
こわっ

なに言ってんのこいつ

 
要は私は神様ってのはものすごく物体的な感覚を覚える。

それは八百万、ポケットモンスター、よしもと住みます芸人 含めて。

肉欲的、愛玩的、味覚的なんです。

生物は元来増えたがる。繁殖したがる。

同胞を求め細胞を分裂したくなりがち。
それが叶うにしろ叶わないにしろ環境適応し状況処理をし子孫繁栄のため無意識化に働きかける欲求の虚像が自個体の可能性である他者でありまた1秒後には細胞が生まれ変わっている自分自身なのではないでしょうか。つまりそれが神様的な欲求。

信仰心はある種のフェティシズム

とまで言うと怒られるでしょうか?

沖縄の亀甲墓は子宮をモチーフにしているという説や
宗教絵画の裸婦像はストレートにそういう意味でもあると思います。

数多ある性癖の中には仏像やお寺に興奮を覚えるものもあるわけです。

うむ 人類がそれを神様と呼ぶ行為は
言ったら歳下の女の子を「女王様」と呼ぶプレイと寸分狂ってないかもしれません。
いや、この発想が人として狂ってるけど。

しかし神様はエロいだけではありません。

小学生の頃 ズッコケ三人組という児童書の中で主人公たちが隠れ里に迷い混む話を読んだ事があるのですが、その中に出ててくる「土ぐも様」という神様は日常の恨みを全て受け止める存在として描かれます。

愛憎の憎の部分もまた生物は肉欲的だと思います。
性欲が食欲の対になる欲求であるのなら他胞は減らしたいという本能があるはずだからです。いわば「ごちそう様」という言い回しがそれを物語っている。

となるとあらゆる個体、そして個体だったものや、個体ではないものすら全ては神様と呼べてしまい、この自我や自意識が紛れもない精神という神様となってしまう。

 
つまり

神様は私だったのです。
 
 

どうも神です。

いやぁ 気付かなかったなぁ…

 
私は神様だったのですね 
 
 
 
 
 
 
 
だとしたら

 
 
やはり普通です。