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なんで自分が柄にもない社会貢献というプロジェクトを動かすのかを考えてみた

今日、社会的に公益性のある活動になんでそこまで熱量が上がるのかをシンプルに会社のメンバーに質問されて、少し前に感じてた自分の気持ちを棚卸しした部分をすこーし伝えることができてホッとしたというか、めちゃくちゃスッキリした!

個人的に幼き頃から学生、社会人としてがっつり働く中で、社会貢献的な発想や、そのものずばりに取り込もうとする気概は正直なかったと言ってもいいくらいの人間だった。

それがなんで、jinjerで企業版プロボノ的な取り組みを推進しようとしているのかを考えて、自分の心の新淵を探って見たときに、過去の4つの原体験に紐付いているのかなと、ふんわり感じることができた!

一つめは、母親が自分の物心ついた時から、福祉に従事していたこと。母親が40歳まで保育の道をひた走っていて、ひとりっ子ということもあり、俺が小さい頃から保育園の保母さんの会議によくついていってたこと(今は保母さんではなくて、保育士さんか)。そのことで小さい頃の感情の中で保育士さんは子供たちと向き合って日々精力的に生きていて、かっこいい存在とか思っていた!

二つめは、母親が40の時に、今までの保育という道ではなく、障がい者支援の職を選んだこと。中学生の自分から見てもけっこうタフなチャレンジをしているなと感じたし、母親の中でストレスもだいぶあったと思っていて、それでも目先の経験やナレッジや、功績をいったん無視して、新たな道を選んだ姿勢にすごく影響を受けた。母親の仕事柄、日々実家に、母親の中村先生を訪ねて、障害を抱えた子たちが遊びに来ていたりしたから、そもそもの抵抗感とかなく、それが日常だったということ。今で言うと多様性をそこで自然に受け入れられていたと思う。

3つめは前職においてPRである程度、前提条件や、アシストがあるということはあったにしても社会課題の解決におけるバズを経験していたこと。これって今までの価値観を全てリセットするくらい自己肯定感をあげてくれたし、信じられないくらいの気持ちの豊かさを感じられた。それはなんでかというと、SNS的な見せかけの数値やメディア取材に踊らされていたのもあるけど、ある種声のちっさい自分が人の力を借りたとはいえ、ここまでやれんだ!みたいなところの感覚があって、PRであれば熱量の注ぎ方次第で限界値を超えてスパークさせることができるんだなと思った事象でもあるかなと!

4つめ、これが1番個人的にインパクトあるかもだけど、前職で会社がインシデントを起こして、今まで味方だった人からの執拗な取材や、声の大きい有識者的な人からのバッシング、1番誇らしくありたい家族に対しての申し訳なさなどなどで、今まで信じてきた価値が音もなくガラガラガラと崩壊したことかなと。考えて欲しいんだけど、今まで大事にしていたことが全方位から否定されるような経験とかって普通に生きてて、そうそうないと思ってて、しかもそれがPRとか広報やってる立場で一番の最前線で受け止めてしまった時の感覚は生々しかったな。今ではけっこう冷静に語れるけれど、当時に戻った時にはなかなかな出来事だったなと。この4つめについてはめちゃくちゃ書けるけどさまざま憶測呼ぶからここまでにします!いろんな意味でこの経験には感謝だな。

この四つの原体験があることで、個人的に社会に対して何かやるべき!みたいなロジックが勝手に強烈に成立しているのと、社会貢献的なドメインがしっかり根ざしていれば、何かやるにしても根底は絶対に揺るがない人間になるなかなと!ダラダラ書きましたが、何かの行動の裏には、人それぞれの正義があり、それを行動原理として動いているんだなと!飲んだ勢いの走りがきだけど忘れてはいけないからnoteに記録しておきます!

今度は、点と点だった動きが線になり、それが面を支えるプロジェクトになっていくって話をnoteで出します!

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