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良妻賢母、アゲマンの謎

男と女の感覚の違いは、恋愛中はトキメクけれど子育て中にはきつい。
あたりまえのことが何でできないの?気づかないの?とイライラさせられるイライラの全ての記憶を、いつか葬るために吐き出す。

日本が良妻賢母を推奨している文化だから、男をたててなんぼ、アゲマンこそ女としての価値が高い、みたいなのに洗脳されモラハラを受けても我慢して当然、それが女の生きる道みたいな感じになっていた(少なくとも私は)。

本当に文化のせいか?その人の人間性の本質の問題ではないか?
考える力があれば人生のどこかで立ち止まり、夫が妻にするモラハラは人権侵害であることに気が付くのではないかと思う事がある。
妻が夫にしていることだってあるし、私もやってきたと思うけど今は自分中心の考えで書く。
私にだって心当たりはあるので、自分を棚に上げるのは多少心が痛い。
でもそうやって私にも悪いところがあるし…と主導権を渡してきたから追い詰められ生き辛くなった。
元ダンナの思考の基本は「自分がいかに優位に立つか」だった。
思い返すと、まんまとやられた感がある。

妊娠して元ダンナのお母さん(義母)と同居することになり、結婚してすぐに入居したアパートから貸一軒家に引っ越す事になった。移転元のアパートを片付けるため、フルタイムの仕事が終わってから毎日通って掃除をしていたんだけど元ダンナは来ない。
電話すると引っ越し先の一軒家で義母とくつろいでいた。その時点で意味がわからないんだけど「手伝いに行こうか?」って言ってくるんだけど…
ムカついて「大丈夫…(心の声:役立たずっ!)」と答えると、本当に来ない。わたしは妊婦なんですけどね(-"-)

子供が産まれ対等でなくなった。さらに子供が幼稚園位のころ元ダンナの扶養に入った時から立場がすごく弱くなり、経済面で何も言えなくなった。家庭のお金の動きが不透明になってきた。
経済力を失うことは発言力を失うということ。自由が不自由に変わる。
不自由のなかで幸せは感じにくい。
自分を守ることができるのは自分だけ。相手に主導権を委ねてはいけないし、決して自身の経済力を失ってはいけない。
お金を運んでくる人に、私の人生をコントロールさせることを許可せざるをえない環境になる。
自分の人生の舵取りを人にまかせたら、地獄に連れていかれるかもしれないよ。相手にとっては天国でも、自分にとっては地獄の可能性は充分ある(私はそうだったし(;^ω^))。

良妻賢母とか、アゲマンとかが女としての価値が高いみたいなのは何だろう?
そこに女性に対する尊重が感じられないのは、それこそが私の思い込みなのかな。
自分を大切にして生きると決めたから今更どうでも良いけど、経済力を手に入れ自由に羽ばたきたい(^^♪

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