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自死ということについて調べた話

東京で生活をしているとよく耳にするのが、鉄道による人身事故です。
私も大学院修士課程時代は、横浜から東京の方へ通学していましたので、人身事故による鉄道の不通で移動手段に困った経験もあります。
また、実際に人身事故の当該車両に乗り合わせていたこともありました。

この人身事故の該当車両に乗り合わせていたとき以前にも、鉄道の人身事故の現場に遭遇することは数回ありました。
それをきっかけに話をするのは、誠に不謹慎なことかもしれませんが、亡くなった方のこれまでの⼈⽣や、その方の親を思うと切ない思いが募ると同時に、誰しもが同じ環境に置かれれば同じ思いをし、同じ選択をするものだろうと思い、⾃殺ということについて⾊々と考えてみようと思いました。

さて、鉄道の⼈⾝事故は関東圏であればほぼ毎⽇と⾔っていいほど発⽣していますが、⾶び込み⾃殺をしたほとんどの⽅は「死を決⼼して⾶び込んではいない」のではないかと思うことがあります。
強い決心のもとに飛び込んでいるのではなく、何度も死と生の振り子に揺られ、でも自死以外を考える余裕はない状態でいたのではないでしょうか。

精神的に追い込まれ、死というものが選択肢に⼊ってきただけであって、強く決⼼している⼈はそう多く無いものだろうと思います。
深く迷い悩みながら、はっきりしない気持ちでフラッと⾶びこんでいるのではないか。
もしかすると、鉄道へ飛び込んだ方は、何度か通過列⾞をやり過ごしたのちに降りたのかもしれません。
⾞両に接触し意識を失う瞬間まで、⽣と死の選択に悩み続けて答えが出ないままではなかったのかなと想像します。

このように考えるようになり、少し調べてみました。
下記には「⾃殺者の⼼理」が少しでも理解できるような様々な報告を集めてみました。

観光名所だけでなく⾶び降り⾃殺の名所としても有名なイギリス・ブリストルのクリフトン吊り橋に、⼼理学者のベネウェズは、そこに防護柵を作ることで⾃殺者を半減させた。
これは、⼀⾒すると物理的に⾶び込めないようにしただけで、別の場所で⾃殺をするだろうと思われますが、結果として周囲での⾃殺者も増えることが無かった。
また、⾶び降り⾃殺の現場で有名なスイスのベルンにはミュンスターテラス(Muenster Terrace)では、安全ネットを設置すると⾃殺が完全に途絶えたと報告している。
さらに安全ネット設置後、その現場の近くに存在する⾃殺の多い場所では⾃殺者に変化がなく、⾃殺を試みようとしていた⼈はミュンスターテラスの他の場所で⾃殺しようと移動することはなかったと考えられる。

これを⾒れば、⾃殺は一過性の⼼理状態で、死が容易である場所に来ると自死を想起してしまう(意識し始めてしまう)というように考えられそうです。
死を決心しているのであれば、自殺しようとした場所が自殺できなかったから、別の場所で自殺しようと移動するはずですが、上記の報告を見る限りでは、たまたまその場所が自殺できるような場所だったから、自殺を意識させているだけで、自殺ができないような場所では死を意識していない(動機を持たない)と考えることができます。

そして、上記の逆の事例としては次のようなものがあります。

ニュージーランドにて、60年間その場にあった安全障壁が景観が損なわれるとの理由で撤去されたところ、その場での⾃殺者の数が5倍に増加し、近隣の他の場所の⾶び降り⾃殺が減少した。

先の事例とは逆で、自殺が容易になったことで自殺者が増えてしまったという報告です。
近隣の飛び降り自殺者の変化については、先の事例では変化がなかったのに対し、こちらでは減少したとなっています。
しかし、どちにしても自死が容易になるような場所が出来てしまうと、自死を意識させてしまっているのではないかというのは誤りではなさそうです。

次に、⽇本の精神科医の松本俊彦氏の話が以下のものです。

巨⼤な橋の管理会社から⾶び降り⾃殺者の増加を抑える依頼を受け、当初松本氏は2メートルの防護柵を提案したが、景観を損なうことや⾃殺者が多いことを宣伝するようなもので管理会社から難⾊を⽰され、仕⽅なく50センチほどの⾼さに鉄線を1本通したのみに留めた。
ところが、ほとんど効果はないだろうと思われた鉄線だったが、その橋で年間20⼈ほどの⾃殺者が出ていた状況が、年間1〜3⼈まで激減した結果となった。

物理的障壁を設けることがベストですが、こうした視覚的な効果しか⾒込めないようなものでも、⼗分に⾃殺を思い留まらせる(というより⾃殺を想起させなくなる?)のかもしれません。

また、⼼理学者のセイデンらの報告が以下の通りです。

⾶び降り⾃殺をしようとしているところを警察に発⾒され⾃殺を
⽌められた⼈の9割は数年後も通常通りの⽣活を営み⽣存していた。

これらを踏まえると、⾃殺者は死ぬことを確信的に決めているわけではな
く、常に⽣と死の間で気持ちが揺れ動きながら⾃殺可能な場所に訪れ、ふと⼼の針が死の⽅へ触れた時に⾶び込むものだろうと思います。
⾔葉の表現が難しいですが「なんとなく」もういいかなというような、主体的判断とは⾔えない曖昧な⼼理状態でいるものかと想像します。

アメリカ⻄海岸のゴールデンゲートブリッジでの夜間の⾃殺者の⼤半が、海の⽅向ではなく街の⽅に向かって⾶び降りており、また監視カメラには⾃殺をしようとする⼈の多くが最後まで携帯電話を握っていた。
アメリカ・ミッドハドソン橋に設置された精神科救急サービスへつながる⾃殺予防のための専⽤の電話には、39⼈の⾃殺を試みようとした⼈のうち30⼈が利用した。
専⽤電話を利⽤した30名のうち致命的⾶び降りをしたのは1⼈だけであり、その⼀ ⽅で電話を利⽤しなかった⼈のうちの5⼈は⾶び降り⾃殺を⾏った。

心療内科医のゆうきゆう氏の著作物では、携帯電話を持ち続けていた理由について、明確な理由は不明だが、最後の瞬間まで誰かとつながることができるツールを持っているということについて、⽣の最後の瞬間まで誰かと繋がりを閉ざしたくないという思いが少なからずあると考えてよいのではないかと記されています。

また、専用電話の存在については、死を決⼼していれば専⽤電話を利⽤するとは思えませんし、逆に⾔えば⾃殺志願者は常に助けを求めつつも頼る対象が無い(⾒つけられていない)ということでしょうか。

仮に⼼に100%という量的な容量があったとすれば、100%が⼈⽣への諦めになっているのではなく、⼼の割合として概ね⼈⽣への悲観的な思いが占めて
いるだけで、少なからず「誰かに必要とされたい」「誰かに⼀⾔でも⽌めてくれればすぐにでも死ぬことをやめられる」「理解されたい」という気持ちは含まれているのかもしれません。

『The Bridge』というゴールデンゲートブリッジでの⾃殺者を記録した実写映画では、⾃殺をしようとした⼀⼈は⼿すりを乗り越え橋げたまで下りたが、橋の通⾏⼈に発⾒され彼らと会話するうちに泣きだし、死を思いとどまっています。
強い決⼼があるわけではなく、やはり繋がりを閉ざしたくない、⼼の裏側では誰かに引き留められたいという⼼理があるのでしょうか。

ここまで⾊々とまとめてみて、ふと思ったのは⾃ら死を選ぶ⼈の⼼の内の⽚隅(もしくは⼼の裏側)には「⾃分の⽣の終焉を誰かに確認してほし
い」というような⼼理もあるのではないかと思ったりもします。

いざという時に、縋ることができる他者の存在は、第⼀に親や配偶者、第⼆にその他の家族だろうと思いますが、ほとんどの⼈にとって重要他者としての関わりが深くなる教育者や指導者も同様にそのような存在であれるとよいものと思います。

自死を意識するということは、多くの方にはそうそうないことかもしれません。
また、その心境は当事者にしか分からない部分が多くあると思います。
しかし、その心境について考えることは非常に大切なことではないかと思う次第です。

参考にした書籍

ゆうきゆう・ソウ(2017)マンガで分かる心療内科 うつを癒す話の聞き方編.少年画報社.

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