HSPが「気質」だという危うさ

まずはじめに、HSPという概念を私は肯定も否定もしません。

宗教のようにこの概念にすがり、周りが見えなくなっている人に向けてのお話です。


HSPとわかって嬉しい、救われたと思った方は裏を返せば今とても辛くて不満がある人でしょう。

今が幸せの絶頂ならば、自分がシャボン玉のように繊細だろうが別に気にならないはずですから。

私が最初に違和感を感じるのはこの部分。

HSPが証明してくれる評価って、自分に余裕が無い状態の人にとって耳心地の良い評価ばかりなんです。


例えば傷つきやすい理由を「周りの気持ちがわかってしまうから」と他責思考とも取れるフォローで慰めます。

それも「気質」だから治さなくていいよと。

当たり前ですが人間はエスパーではないので、相手の気持ちを予想しているに過ぎません。当たることも外れることもあります。

周りの気持ちを感じやすいと信じて思い込んで生きてるだけなんです。妄想です。

しかし、自分に余裕がない状態の人の心はこの安易なフォローを信じやすいのです。

自分の気質が周りの役に立っていると言われてるような気になり、自尊心も満たされます。

実際は相手の気持ちを勝手にネガティブに予想して勝手にわかったつもりになり、勝手に凹んでいることがとても多いんですよ。

そして、こういった自らが生み出す被害妄想は、適切に向き合えば変えていけるものです。時間はかかるけどね。


だけどそんな時にHSPが「気質」だと引き止める。

気質だから変わらないでいいだなんて、辛くて自信のない人には最高の自己肯定の言葉です。振り払うなんて怖いのです。


そして更にエスカレートすると、人間関係に影響を及ぼします。

自分の脆さは変わらない、そのままでいい。

でも現実には次々と不満が湧き上がる。

HSPは繊細だから他人より傷つきやすい。

でもやっぱり気質だから自分は変われない。

どんどん周りと自分の間に溝が出来……


なんで楽にのんきに生きてる人が歩み寄ってくれないの?!こっちはしんどいの!こんなに我慢してるんだから!


等と己を傷つけてくる人間、社会、全てを敵視するようになります。なった人を実際に見ました。

私は悩んだ末その方とは縁を切りました。正直限界でした。

「気質」という完璧自己肯定が呪いになる瞬間です。変われないという呪い。変わらなくていいという傲慢。

それって本当に幸せなのでしょうか。


例えHSPの人だけで寄り添ってコミュニティを持ったとしても、繊細さは千差万別でしょう。

しばらくすればお互いに不満がくすぶり、同じことの繰り返しにはならないでしょうか。

それでは最後に独りぼっちになってしまいます。悲しすぎる。


長くなりましたが、

HSPというまだまだ新しい概念、ちょっと自分の背中を押してもらうのに利用する程度が良いと思いますよ。

どうか己の全てを概念ひとつに預けてしまいませんように。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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