結局どの言霊を言えばいいのか

これを言えばいいという言霊が、世の中にはたくさんあります。
斎藤一人さんのおすすめもたくさんありますよね。
いったいどれがいいのか、一つの言霊をしてみたけど、これがいいと言われ、また違う言霊を唱え始め、結局どれも続かないというのはよくあるんではないでしょうか。

私は、以前、仏教を自分なりに勉強した時期があるのですが、
どの本を読んでも迷宮に入り込むような感じで、
結局何がいいたいんだろうか、こんな膨大な知識を勉強しなければ救われないのでは何のための哲学・宗教なんだろうかと思ったこともありました。
でも、仏教で救われてきた人もたくさんいることは事実で、
実際、般若心経は多くの人に読まれているお経です。
このお経を読んだだけで救われた人もいるようで、仏教の真髄はこのお経にあるのではと、自分なりに勉強して出た結論が、

お釈迦さまが一番いいたかったことは、
「諸行無常」であること。
縁起の思想とも言われていますが、

つまり諸行無常とは「すべての現象は、特定の条件下で一時的に組み立てられたもので常に変化する」

例えば、怒るのは良くないといいますが、ある特定の条件下では、正当な怒りもありますし、嘘はよくないというのも状況によりますよね。

一人さんの話でも、前言ってたことと違うこと言ってるな ということもありますね。
それも当然で、その状況、その相手にはそれが適切だと考えるから、
状況、相手によって違うアドバイスがあるんですね。

人間は、「Aは〇である」「Bは×である」とか無意識で絶対化してしまってることがあるので、生きづらくなると。

よく、成功本には、願望文は現在形や過去形でないといけないとかありますけど、これもある条件下では正解かもしれませんが、常にではないはずです。

人類の歴史において、先人たちは、依頼型文で祈ってきた場合が多いはずですから、常にではないのは明らかですよね。

「金持ちになりたい」と願う場合に、(今は貧乏で不幸だから金持ちになりたい」)なのか(今幸福でお金もそこそこあるけど、もっと金持ちになりたい)

「幸せになりたい」と願う場合に、(今不幸だから幸せになりたい)なのか(今そこそこ幸せだけどもっと幸せになりたい)

かで、その人の出してる波動が違います。

世の中の、格言や常識といわれてることは、ある条件下ではあてはまるけど、常にあてはまるわけではないということです。

私自身、これを知るまでは、前に読んだ本と今読んだ本で違うことを言っているということで、頭が混乱して、何も身につかなった時期がありました。

言い換えれば、本来無色で、特定の条件下で色がかわるものを
自分で勝手に前提の色をつけているんです。

本来空であるものを、自分で勝手に前提の色をつけているんだと。

「照見五蘊皆空度一切苦役」
すべての現象は、本来空であることがわかれば、一切の苦役がなくなる。
般若心経のこの部分が、これまで多くの人を救ってきたんではないかと、自分では思っています。

前置きが長くなってしまいましたが、
言霊について、「諸行無常」で考えると、

ある特定の状況にとっては、ベストな言霊がある。
人によってベストな言霊が違う。
同じ人によっても、状況によって、ベストな言霊が違う。
アメノミナカヌシ様一本でいくのか、
TPOに応じて、他の言霊をとなえるか。
はたまた、同じ人でも、平日と休日では、
唱える割合が変わってもいいんです。
だから、世の中には、無数の言霊があるんです。

私個人としては、
アメノミナカヌシ様一本でいけるレベルに到達するまでは、
TPOに応じて、他の言霊を唱えることにしています。

例えば、歩くときは、リズムがいいので「ツイてる」といいながら

肩こりや体のこりがあるときは「我は神なり愛と光なり」

嫌な出来事があってマインドがネガティブに走りそうなときは「ありがたい」とか「ツイてる」といってポジティブな面に意識をむける。

アメノミナカヌシ様の言霊に
何らかの理由(神名はちょっと、困った時の神頼み?等々)
で抵抗ある場合は、他の言霊を唱えるか、
他の言霊を多くしてアメノミナカヌシ様少しとか、
自分の状態が変わるまでは、その方法でいいんではないでしょうか。


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