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「秋葉原事件」から14年経ったらしい

https://mainichi.jp/articles/20220608/k00/00m/040/076000c

 当時のことを思い出すと、自分はまだ高校生で、遊びでよく秋葉原に行っていたし、いわゆる「オタク文化」が注目され始めている時期だったので、衝撃的だった。
 なにより、個人的なこの事件との最大の接点は、同級生の友達がこの日秋葉原に行っていたらしく、もしも友達が巻き込まれていたら犯人を恨んでいただろう、ということである。
 そして、自分はこう思った。

「自分も犯人のようになるのではないか?」と。

 当時は本気で悩んでいた。正直に言って、当時の自分は秋葉原に行って、いわゆる「オタク文化」に接している時以外は、ほとんど心の安らぎを得られていないような状態だったからだ。犯人ももしかしたら、似たような心理状態だったかもしれない。そういう人が殺人という犯罪をした。自分もやってしまうかもしれない、と思っていたのだ。でも、犯罪を起こして人生を台無しにしたくはない。本当の本当にそう思っていた。

 残念ながら今手元にないけれど、この事件を引き起こしたのは社会構造のせい、と指摘している本がある。犯人個人には責任はない、ともとれた。
 早い話、その本の著者も、社会がいわゆる「親ガチャ」にならないよう考えているのでは、と思った。この事件の犯人は母親に虐待されていたという。それが事件の原因のひとつ、と考えられないだろうか。もし親を選べるとして、そういう親を選ぶ子供がいるだろうか?

 残念ながら、事件の頃から未だ何も変わっていないように感じる。14年前に比べて、秋葉原は少し明るくなった気がするし、オタク文化に接する人も増えたとは思うけど、社会の本質のようなものは何も変わってはいないのではないだろうか。先ほど触れた本の筆者が提唱するような、この事件の犯人のような人間を二度と出さないような仕組みができているという知らせは、見たことがない。

 自分は虐待を受けたということもなく、わりと健全に育った方だと思うけど、生まれで人生が決まるような世の中というのは嫌だし、自分の力で自分の人生をでどんどん変えていけるような、そんな世の中がいいと思っている。

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