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汚れた川をキレイにするのがあなたの仕事ですよ

勤めて10年程が過ぎた。よくわからないけどなんか頑張ったら上手くいった。訳も分からず仕事した。ノルマが毎年増えた。

実家に帰った。親族が勤務先のWebサイトを見たらしい。「お前のところの代表、まともな文章を書けないのか?これでコンサルタントとか名乗ってるの凄いな」
既に気づいていたことを自分の身近な人間に伝えられた瞬間は、そのように評価された人間を担がなければならないという負い目と、自分の直感をより信頼すべきだったという落胆を同時に感じることができた。明けも暮れもドキュメントを作成していようが、どれだけ高等教育を受けようが、求められる水準にすら立てない人がいるということを知った。

明らかに時代遅れなシステムが導入された。私には一切関係なかったが嫌な予感がした。それは正しかった。どう使っても無価値なデータしか出力されないシステムは、漏れなく火種となった。システムの効果を過剰にアピールした担当者は「俺は被害者だ」と捲し立て責任を逃れた。その始末のほとんどは私に降りかかってきた。そのリワードは全くなかった。塵芥の塊を料理しても塵芥を分けて塩コショウを振りかけただけにしかならない。人の世にまた新たなゴミを放流する以外の選択肢はなかった。

「我々が担当しているxxが最上位なのだから、xxの案件が獲得できれば他の案件も獲得できる」
開陳された謎のロジックの正当性が実証されることは終ぞなかった。整合性、PDCAなどの言葉を機関銃の如くクライアントに放つ者は、自らが掲げる仮説を検証することはしなかった。このロジックは一方にのみ利用可能かつ万能だった。xxを担当する社員がリソースを自由に消耗するための後ろ盾になった。必要経費を積み上げた見積も「xxより高いからあり得ない」。国語だけではなく、算数もできない大人がいることを知った。

どこに行こうと同じ構造に突き当たるのだろう。その都度精神は汚染され、身体は壊れるのだろう。
それでも汚れた川をキレイにしようという意思が自らに僅かでも残ることを信じて。

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