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知多四国八十八霊場巡り ぶらぶら歩き(第一回)

ー はじめに ー 
 このブログは、愛知県の知多半島にある八十八ケ所ある弘法大師の霊場を歩いて回るときに「僕」が面白いと思ったモノを書いていくブログです。

 普通このようなブログは始める準備とかから始まりますよね。
でもこのブログは終わりから始まるんです。(笑)
一般的にお遍路の終わりは、八十八ケ所の札所と番外の札所を回りきった時で、満願と言います。

 僕が何も知らないまま、まず「やってみよう」と2021年2月13日(土)に
一番札所の豊明市曹源寺を尋ね、色々教えてもらって巡礼をスタートさせました。
そして幾つもの行程に分けて巡礼(区切り打ちといいます)し、遂に5月8日(土)に満願を達成。
そして、このブログを書いていく巡礼二巡目を開始することにしました。


ー 満願(一巡目) ー
 2021年5月8日(土)午前中に87番霊場 長寿寺、88番霊場 円通寺を巡拝し、88ヵ所の札所と10ヵ所の番外を全て巡り、満願達成しました。

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この後、一番霊場の曹源寺へ言って、満願報告しようと考えて名古屋鉄道の鳴海駅に向かうことにし、その途中で桶狭間の戦いで序盤の古戦場跡、大高城址・丸根砦・鷲津砦に寄って織田信長と今川義元の戦の現場を訪れる事にしました。

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 まず大高城址に行ってみると、そこは旧常滑街道と旧師崎街道が交差する交通の要衝の高台に配置され、当時は知多半島を治める要だったことがよくわかりました。
 そして鷲津砦と丸根砦に行ってみると、先に訪れた大高城と旧東海道にある鳴海城を分断する位置にある高台に設けられており、前出の二つの城が織田家から今川家へ寝返った後に信長公が今川家に対抗するために砦を築いた狙いがよくわかります。その結果、兵站が途絶えた大高城と鳴海城を救うために義元公が兵を差し向けた理由がよくわかりました。

歴史に想いをはせながら鳴海駅に着き、曹源寺がある前後駅まで名鉄で移動しました。

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曹源寺までの道は、三ヶ月前に知多四国遍路をやろうと思いながらソワソワしながら歩いた道を再び歩きました。
駅から20分ほどでたどり着き、大師堂で蝋燭と線香をあげて般若心経を唱えて納経所で二巡目の御朱印をもらい、満願の報告をしました。

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すると、こともあろうことか「満貫されたら、名古屋市八事にある八事興正寺で巡拝して御朱印をもらい『結願』して下さい」と助言をもらうことに。
「えー、そうなのー?」と思いながらも、最初に曹源寺でもらった知多四国遍路のやり方が書いてある用紙をよく見ると、確かに一番下の行に書いてある…。書いてあるじゃん…。
まだ、時刻は12時を少し過ぎたばかり…。
気持ちを切り替えて八事興正寺へ向かうことに決めました。

ー結願(一巡目)ー
 八事興正寺は名古屋市昭和区八事にあり、豊明の曹源寺からは12kmで歩くと2時間半の距離。興正寺での巡拝のやり方もよく分からないので、公共交通機関で向かう事にして時間の節約を選びました。
名鉄名古屋本線金山駅経由、名古屋市営地下鉄名城線左回りで八事駅に向かいました。

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八事は僕の実家の近くなのですが、興正寺に来たのは今日が初めてでした。
訪れてみると、こんなに広いとは知りませんでした。案内図をiPhoneで撮影して、それを見ながら東山本堂と弘法堂に向かいました。

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弘法堂を巡拝し、これで興正寺で結願のための「打ち」を終えたかと思い、西山本堂に向かいました。
すると西山本堂で「興正寺では、西山本堂・東山本堂・弘法堂で巡拝することになっている」という説明書を見つけ、「う、マジか…」と思いつつ、西山本堂での巡拝を済ませた後もう一度ぐるりと回って、東山本堂を訪ね巡拝を済ませました。
そして、晴々とした気持ちで御朱印をもらいに受付に向かい、無事二つある八事興正寺の御朱印をもらいました。
「これで結願ですね?」と尋ねると、「はい、確かに結願ですが、『三河三弘法』をご存知ですか? そこを訪ねて巡拝するとこの納経帳の空白ページに御朱印が頂けますよ」と教えて頂いた。
「えー、まだあるの?」と思いつつ、知立の三河三弘法の情報を頂きましたが、確かにこれで結願とおっしゃって頂きましたので、『結願』です。

三河三弘法へは時間がある時に行くとして、これにて二巡目の区切り打ちに取り掛かる事にします。
では、次回は一番札所からの遍路です。
ではまた。

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