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こんにちは。未央奈です。

昨年末他界した父の四十九日法要を無事終え、納骨を済ませてきました。
もともと身内だけで行った葬儀でしたが、さらに最近また急増しているコロナの影響から、叔父・叔母達と予定していた会食は中止し、われわれ家族のみでお寺に伺い、法要を執り行ってきました。

県内とはいえ、やはり父の故郷の地。
ここに無事納骨し、父を帰してあげられたことで、ひとまず安心しました。
今回はこれについて、感じたことを記していきたいと思います。

自分のルーツ

私はこれまで、あまり自分の家のルーツなど興味を持つことはありませんでした。でも今回納骨ということであらためて父の故郷のお墓に行き、自分の旧姓の名字のお墓がたくさん並んでいるのを見た時の、何とも不思議な気持ちといったら!
自分の味方が100倍増えた、と思えるほど、心強い感覚に包まれました。
名字が同じというだけで、もちろん全く知らない方々なんですけどね^^;

旧姓の名字を発見したのは墓石だけではありませんでした。お寺の壁にはそこで法要を行ったのであろうご家庭のお名前や○回忌などと書かれた紙が貼ってあったのですが、それらにも多くの〇〇さん(私の旧姓)が記されていました。
この感覚は弟も同じだったようです。
関東方面に住んでいる弟にしてみると、特に日頃こうした家族や親族の縁を感じにくいので、私と同様に多くの同性を目にして感慨深いとご住職にも話していました。

よく芸能人の方のご家族のルーツを探るテレビ番組がありますが、こうした経験をすると、自分の家系やルーツを探ってみたくもなりますね。

お経と鏧子(けいす)の響きの中で

葬儀などでお経を唱えていただく時間というのは、やはり長く感じてしまうのは、正直なところです。
そういえば子供時代は小学校などの全校集会の校長先生のお話を聞いている時間がそうでしたね。感覚とさほど変わらないか我慢しているのだけれど、心で願うはひたすら「早く終わらないかなあ」と(笑)

しかし、今回は違った感覚がありました。
もちろん自分の父の法要なので、心に思うところもやはり大きいのですが、初めてこのお経とぼーーんとなる鏧子の響きに、瞑想に入ったような状態になったのです。

『父と会話をした』

四十九日というのは、仏教用語の一つで、人が亡くなってからあの世で7日ごとに極楽浄土へ行けるかどうかの裁判が行われ、その最後の判決の日、と言われています。遺族は亡くなった人が無事極楽浄土へ行けるように冥福を祈り、そして四十九日目の判決が無事決まり、盛大な法要をして供養をするわけです。

つまり四十九日をもって、父は本当に旅立っていく。
その意識からなのか、私はお経と鏧子の響きの中で自然と、その別れの挨拶を交わしている情景を心で感じ、そして父と会話を交わしていました。

「本当にお疲れ様だったね、お父さん」
「まあ、まいった、まいった。あんな苦しいのはもうこりごりだ」

最後までがんと残された自分の人生に向き合い、人生を生き切った父は、亡くなった直後に比べると、そういって笑い、安心した表情をしていました。(というように感じました)
人生最後の修行を終えて、やり切ったって感じなのかな。

「今日でお別れだね。」
「そうだな。」
「お父さん、本当にありがとね。最後にお父さんとじっくり過ごすことができて、幸せだったよ」
「本当だなあ。ありがとな。お母さん、頼むよ。」

そういって私に手を合わせる父。
そんな会話を感じていたので、不覚にも涙が出てきてしまいました。

葬儀の時は、現世の父の肉体との別れ。
そして四十九日は、本当に父の魂との別れ。
あの世へ旅立ってしまう直前の最後の別れ。
お経と鏧子の響きの中で、これを強く感じていました。

ずっと守られていた母

昭和かたぎでワンマンな父でしたが、裏返せば家族に対する責任感は人一倍で「俺が守る」が強かったと思います。
私たちには従順さを求め、特に母にはそれが強かったですが、一方で母を守る意識も強かった。
だから、もしも母が先に逝ったとしたら、とても耐えられなかったと思います。

法要が終わり、住職と話している中で、母は父の闘病を振り返り、弱音を吐かなかったと言っていました。
でも私の前では違ったのよ。
食道がん末期。ステントを入れるという対症療法を行いましたが、命の期限がほぼ明確に突きつけられている状況でした。
頭で理解していても、心が追い付かない。
認知症の初期症状で、本当に記憶がとんでしまっていましたが、そういう姿は見せれても、命の期限の不安は見せられなかったんですね。

私たちが子供のころは、結構喧嘩も絶えなかった夫婦でしたが、それでも50年以上ともに人生を歩んできた二人にしかわからない絆がありましたし、子供としては、やはりそういうのは嬉しく、ありがたいことだなあと素直に思います。

自分の死期を自覚し、できる限りの準備と段取りを徹底して行って逝った父。
自分にずっと尽くしてくれた母にも
「ありがとな。まあわしはのんびりするわ。あんたはもう少しそっちで楽しんで。」
きっと、そんな風に思っていることでしょう。

最後に父が来た

さてその日の夕方、実家で一緒に食事をするため、買い物をしてから寄ったのですが、私が実家に着いたときに、実は不思議なことがあったのです。

門をあけ中に入り、閉めているときに背後でバサッという音がしました。
振り返ると、玄関前にある南天の枝が、本当にその枝だけが揺れたのです!

最初は猫とか、鳥でもいるのかと思いました。
でもそれらがいたとしても、逃げていく音がしない。何かいるような気配もない。私は瞬間的に、最後に父が来たのだ、と思いました。
本当に最後の最後。父が私に会いに来てくれた。それか見届けにきたのかな。
「頼むぞ」って念押しかな。

家に入り、すぐに弟に話すと、「何かいたんでしょう」と笑いましたが、私もちょっとむきになって、「本当に揺れたんだってば!」と(笑)
これを読んでいる方も、そう思いますよね、きっと^^;
母もそんな会話を聞いて、笑っていましたが、私が「お父さんが来たのかも」と言う言葉は否定せず、「そういう事もあるっていうからねえ」と。
一人で頑張っているけれど、それこそ私たちの前であまり弱音を吐かないけれど、ご住職との話の中では、やっぱり寂しさほろり。
どんな形でもいいから、父と会いたいのかもしれません。 

父との約束です。
お父さんのところへ行くまで、お母さんは私たちで守っていくからね、お父さん。

ありがとう。またね。
 

 

 

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