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ルワンダに渡ったスポーツチャンバラ2(湖の辺りの稽古場)

サッカーの日本代表が接戦を演じながら最後に負けてしまったことで有名になったドーハを経由して、2013年に初めてキガリを訪問しました。月〜金曜日は本業に勤しんでいましたが、土日は宿の周りを散策しました。少し、足を伸ばすと、小さな湖のある美しい場所を見つけ、何度も訪れるようになりました。

ある日、湖に近づくと「エイ、エイ」と何らかの武道の気合らしきものが聞こえました。どうも、空手の練習もしくは、ふざけているのかとも疑いましたが、様子を見ると真剣そのものです。そこで、声をかけると、私に武道を教えて欲しいと乞われました。自分には空手の経験はないことを断わりながら、私の知っているもので良いのならば、教えることを約束しました。こうして、土日は湖の辺りで中国武術を教えることになりました。スポチャンの稽古を始めるには十分な道具を持ってきていなかったので、まだ、先の話になります。

本業の契約の関係で3ヶ月の滞在の後、一時帰国し、4ヶ月滞在の予定で2度目のルワンダを訪れました。その時は、2つの面と4本の小太刀といった最低限のスポチャンの道具を携えて、週末を楽しみにしていました。ところが、湖の稽古場には以前と違うチームがカンフーを練習していました。仕方がないので、隅っこで小太刀の素振りを始めたところ、是非、教えて欲しいと乞われました。これが、ルワンダスポーツチャンバラの現代表であるベンジャミンとの出会いです。

当初は、中国武術とスポチャンを半々ぐらいで教えました。ちなみに、私の中国武術は一般的な型重視ではなく、基本鍛錬とスパーリングを中心に学ぶものです。ベンジャミンも型よりスパーリングを好むので、私の教え方は合っていたようです。ところが、50近くなって若者相手に拳法のスパーリングをするのは、正直、厳しかったです。幸いなことに、練習を重ねるに連れて、ベンジャミンは拳法よりもスポチャンを好むようになり、割と早い時期にカンフーの看板を下げて、スポチャンとして出直す宣言をしました。これは、前回、書いたように自分の育て上げたカンフーの団体が乗っ取られた苦い経験から方向転換を図ったことが理由の一つです。

もう一つの理由は、スポチャンそのものの良さを実感したためです。ベンジャミン曰く、「カンフーのスパーリングでは怪我をして恨みが残ることがあった。でも、スポチャンでは怪我なく思い切り打ち合って、勝っても負けても笑いが残る」つまり、安全性と本気の戦いが両立できるスポチャンに魅力を感じたのです。

仕事柄、アフリカを含む途上国では経済活動が重要で、スポーツのような余暇活動は2の次と信じていました。だから、スポチャンを本気で学ぶ人がルワンダにいたことは、私のアフリカに対する見解を大きく変える切っ掛けとなりました。そして、スポチャンの指導を進めるうちに、彼らは武道の精神性をかなり理解していることも分かってきました。こうした文化面の発見についても、ボチボチ書いてゆきたいと思います。

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