弁橋へ親父から。①「それが、考えるでは」

親父がスマホに換えてからLINEを覚え、私に色々と言葉を送ってくる。私はその言葉に素っ気なく、または、返信せずにいる。これは子供である私の気恥ずかしさであり、未だ抜け出せていない反抗期のせいであろう。それとも内容は親父の小言というよりも詩的なものが多いためであるのかもしれない。

今回、私が書こうと思ったのはその親父に対する申し訳ないという気持ちからだ。「ならお父さんにLINE返せよ!」という意見があると思う。というか私もそう思っている。
そこは芸人の浅ましさというか性というか。家族のことであろうと、友達のことであろうと、先輩のことであろうとネタにするのだ。

今回の言葉は
挑戦は、何がダメでしたか?挑戦しないと何も分かりません。耐えるは、合ってる。しかし、分析しないと失敗が生きません。それが、考えるでは」(原文のまま)

これは私の勉強会後のものである。それに対する息子(わたし)の返信は「そんなに早くは決まりません。」(原文のまま)
酷い酷すぎる返信だ。というか返信の内容が返答にもなっていない。といえども返信していただけ偉い。

私のやり方が駄目であったとは言わない親

父。そして、肯定をしてくれる。

「耐えるは、合ってる。」

これは今回ダメであったが同じ挑戦をしてやる!そのうちお客さんが分かってくれる!耐えてやる!!とでも私が言ったのだろう。それに対して「その考えは間違っている」と言わずに「分析して失敗を生かせ」と言ってくれ、ポエチックに「それが、考えるでは」と締めくくってくる。

何が駄目だったか考えなさいでなく、分析することが大事なのだと教えてくれた。こういったところが失敗であったから分析しろではない。失敗点は本人がよく分かっているからその点を洗い出させるところも含めて分析であり考えることなのかもしれない。
そして、その点を改めるのではなく、考えることが大事だという。

分析して貯めておく、自分の技量や気持ちが変わったときにその貯めておいた分析通りにやってみることが大切なのかもしれない。そしてまた、そのことに挑戦して分析をする。繰り返しが大切なのかも。

親父は成功したところを分析しろとは言っていない。これは私自身が成功体験を大事にとっておき使いたがるのが分かっているからだろう。

とにかく、挑戦、分析、挑戦、分析を繰り返して行こう。

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