第41回 一緒に陶芸を体験しに行った(編集後記)

Podcast『人間生活』編集後記

以下、ネタバレを含みますので、本編を聴いてから読むのがおすすめ。


いやはや、まさかこんなことになるとはね。一人語り。やっているうちは特に難しいとは思わなかったのだけれど(どうせ編集でどうにでもなる)、聞き直してみると、なんだか間延びしている。内容自体は思い出して喋るだけだから、話すことが無くて困ることはなかった。しかし、リズムが生まれない。話し相手がいること、相槌をうってくれること、話題の流れがあること。こういった一見すると些細なことが、会話をドライブさせているらしい。なぜだろうか?

おそらく、「言いたいことを全て言わない」というのが肝になっている。僕らは会話をするとき、相手の顔色を伺ったり、あるいは相手のちょっとしたコメントから話を展開させたりして——つまり、空気を読んで発言している。たしかに、場合によっては自分の話の段取りを貫くこともある。しかし基本的には、言いたいことを全て、自分の心に浮かぶままに言うのではなく、そのとき言うべきことを選んで発言している。思いついたことの中から取捨選択して発言しているのだ。一人語りのときは、こういう取捨選択は起こらなかった。頭に浮かんだことを、浮かんだ順に話していた。

陶芸はまさに、会話の空気を読むことを物質的に実践しているような気がする。コップを作っている最中にふとお皿を作りたくなっても、その欲望は一旦押し留められなければならない。反対に、コップを作ろうと思っていたのに、土がお皿みたいな形になってしまうこともある。そのときは素直にお皿に向かっていかなければならない。その場の流れに適した選択をするのが重要なのだ。

空気を読む、というところで会話と陶芸がつながっているとすると、ひょっとしたら、ポッドキャストを通して陶芸が上手くなっているかもしれない。あるいは陶芸を通してポッドキャストが上手くなっているのかもしれない。いずれにせよ、自分の一人語りの貧しさに直面して、僕は会話が少し上手くなっているのを感じたわけだ。

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