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日記(2022/08/01)

ストローブ=ユイレ『雲から抵抗へ』見る。草木の官能と政治性が分かちがたく結びついている。第1部3話の馬車座席からのカット。台詞終わり後の沈黙と、「朴訥」と形容しても差し支えない緩慢かつ素朴な移動を長時間にわたって撮影した映像を延々と見ることによって湧いてくる気持ちよさは、ストローブ=ユイレの映画でしか味わったことがない。他の映画でこれをやると大体作為みたいなのが見えて辟易するものだが、そういうのがない。カメラが人の移動にしたがって動く、風景もそれに応じて変化していく、その全体を、ゆるやかな環境の移り変わりとして、映画を通じて認識すること。人がゆっくりと何の目的も持たずに移動するときの風景の移り変わりの穏やかさを、映画のなかで最も正確に表現しているのがストローブ=ユイレ作品だと、勝手に思っている。第2部の歩行による移動を写したカットは本当に、映画という動く画面を見ること自体の喜びに充ちた豊穣な画面の数々!散歩を愛した小説家ローベルト・ヴァルザーの作品を映画化してほしいと今何となく、しかし強く思った!

アウグスティヌス『告白Ⅱ』読み進める。学問的知識の記憶について書かれた第10巻10章17節。

ですからそれらのものは、私が学ぶ以前に、すでにそこにあったのです。しかし記憶のうちにあったわけではありません。
ではどこにあったのでしょうか。それらを学んだとき、「そのとおりだ、ほんとうだ」と私がみとめ、いったのはなぜでしょうか。それは、すでにそれらのものが記憶のうちにあったからではないでしょうか。

山田晶訳『告白Ⅱ』中公文庫 253頁

繰り出される強烈な矛盾にドキッとする。アウグスティヌスどういうつもりで書いてるのか……。訳注ではこの箇所について一応の納得をうながす説明がなされているが、それにしても、あまりにも露骨な矛盾に思えるこの文章を、神とそのしもべである信者たち、そして他ならぬ自分自身に向けて書くアウグスティヌス!

新人の教育係を任されてしまって憂鬱すぎる。会社でのんびりできなくなるのが辛い。Yo La Tengoのライブ見ながら夏野菜食べる。


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