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日記(2022/10/03-04)

月曜日。早く寝たせいで朝に余裕ができたから再見したかった『女と男のいる舗道』をU-NEXTで。何日か前からまた60年代ゴダールが気になっている。カメラのパンが機関銃の音に合わせてダダダとなるが、あれは編集とかじゃなくてラウル・クタールが手でやっているというのが『ゴダール、わがアンナ・カリーナ時代』のインタビューにあった。
画面については『全評論・全発言Ⅰ』にこういうのがあった。「1.33は気まぐれなサイズだと思われる。でもだからこそ、気まぐれなサイズだからこそ、1.33が好きなんだ。それに対してスコープは、すべてを撮ることのできるサイズだ。1.33ではそうはいかない。でも素晴らしいサイズだ。1.66にはまったくなんの価値もない。ぼくは中間的なサイズは好きじゃないんだ。『女と男のいる舗道』のときはスコープで撮るかどうか迷ったんだが、結局はそうしないことにした。あれはあまりにセンチメンタルなサイズだからだ。1.33の方がより無情な、より厳格なサイズなんだ」。1.33は気まぐれでかつ厳格という、ゴダール特有の矛盾。

退勤後『軽蔑』も再見。画面がちょっと歪んでるように見える箇所があるのは『女は女である』でも感じたことだが、単にシネマスコープというのではなくて厳密にはフランスコープという規格らしく(多分?)、それと関係があるのかもしれない。前半の方に何回か挟まれる、ずっと不機嫌な顔をして何考えてるのか分からないブリジット・バルドーに紐づいていると思しきフラッシュバックのような編集。60年代ゴダールはほとんどずっと「女は謎!」っていうのをやってる、そういう意味ではかなりシンプルで、だからこそ「親しみのある」ものに思える。理性と感情、思考と直感の対立。屋上に上ったミシェル・ピコリがジャック・パランスとバルドーの窓際の浮気現場を上から眺めるという構図がめちゃくちゃカッコイイ、そのあとすぐ室内のカットになってピコリが画面外に追いやられるのも含めて。

その後、寝るまでに時間があったので『恋人のいる時間』を初見。主演のマーシャ・メリルに見覚えがあると思ったら『サスペリアPART2』の超能力者役で何度も見ていた顔。「主体が客体とみなされているような映画、タクシーでの追跡場面と民族学的なインタビューが交互につづくような映画、人生についてのスペクタクルと人生の分析がついにはひとつに溶けあうような映画」(『ゴダール全評論・全発言Ⅰ』)。ゴダールの中でもかなり「終わりがない映画」という印象強め。
仕事ある日なのに普通に映画三本見れたのは何でなのか分からない。

火曜日。『気狂いピエロ』再見。めちゃくちゃ面白い。「そのとおり、俺は海の上に浮かぶでっかいクエスチョンマーク」。ベルモンドが遠くの海に見えるアンナ・カリーナの裏切った姿を見たあと、追いかけようとして別のヨットに飛び乗るときに写るその舟の緑色の鮮烈さに驚く。これまでグリーンを周到に避けて、ここに来て取っておきと言わんばかりに配色したかのような。ベルモンドの悲しみは確かに最後になって顔に塗りたくる青色で表現されることになるが、それより以前にすでに緑によって、青よりも強烈な破滅への予告として表現されている、現にこの場面が一番エモーショナルに撮られている。アンナ・カリーナがずっと振り回してる犬がかわいい。


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