日記(2022/06/26)

口内炎にはイソジンが効くので使ってるが普通にうがいをしたときのイソジンは口の中がしわくちゃになる感じがして苦手なので舌に数滴を乗せて炎症箇所に持って行くのだが何か口内炎に餌をやってる気持ちになる。すると口内炎に顔が付いてニコニコ笑っているようなイメージを想像する。

ジョン・フォード『バファロー大隊』見る。南北戦争時の北軍の黒人部隊の話。銃声が鳴るとコンスタンス・タワーズが両手を広げて耳に当てている様子がクロースアップで写される。ここの仕草がめちゃくちゃ良く撮られている。決まり具合が『騎兵隊』と同じ。両作とも兵器の音によって女優のクロースアップが導かれる。「バファロー大尉」の歌が高らかに流れ、あたかもハッピーエンドであるかのような終わり方をするのだが、真犯人が法廷で心情を告白する場面の醜悪さ胸糞の悪さをすぐに忘れて、さあハッピーエンドだ、という気持ちにはとてもなれない。どす黒い闇を見てただただゲンナリするばかり。『捜索者』も確かに陰惨ではあるが同時に詩情もあった。『バファロー大隊』は、ここまでどんよりとしたフォード作品は初めて。

ジョン・フォード『リオ・グランデの砦』見る。騎兵隊三部作はどの作品も戦争をを描いているのに、その彼らの殺し合いから受ける印象は、男たちが砂まみれになって遊んでいる、といったような爽やかなもので、しかし決して戦争賛美のような短絡的なものではない、きわめて道徳的な何かが写されていると思う。男たちが各々の全力を尽くして自らの生を善きものにするために頑張る姿がただ単純に美しい。ジョン・フォードの映画を見て、そういう風に思えるようになったのは成長なのかもしれない。でも馬を銃弾の盾に使うという別種の倫理に反する場面もあるので驚いた。西部劇では敵同士が「互いの馬を撃たない」という暗黙の了解を逆手に取ったものなのか。

ジョン・フォード『馬上の二人』見る。これもまた『バファロー大隊』同様どす黒い闇のイメージを観客の目に刻印したまま一応の幸福さのイメージで終わるジョン・フォード後期作品。コマンチ族に拉致されてコマンチ族に「なった」者が辿る異なる運命。こういう言い方はポリコレ的にアレなのだが、今や身体も魂もコマンチ族になり果てた白人の少年は『エクソシスト』のリンダ・ブレアを思わせる恐ろしい声と表情をしている。この少年にまつわる場面はどれも悲惨でどす黒いイメージとして映画の闇となって拭いきれないものになっている。せこい保安官のジェームズ・スチュアートが終盤で珍しく真っ当なことを言ってもカメラはその姿を大きなサイズで捉えることはなく、決して英雄的に写していないのが良い。愛する女性の名誉を傷つける群衆に対するあくまでも彼自身の義憤として「言うことを言っただけ」だという撮り方。代わりに大きく写されるのは彼の昔馴染みであるアンディ・ディヴァインの感心したような様子。品の良い話法。

明日が月曜日なの考えたくなさすぎる。

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