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リトミック指導法を創るって話

どこまで伝わるか自信がないんだけど…。
考えてばかりいても伝わらないので、拙いけれど少しずつ外に出していくことにしました。

これから私は2つの講座をスタートします。

1つは「リトミックの指導法講座」。
これは、もうやろうやろうと思いながら早2年。
伝えたいことはたくさんあるけれど、どういう形にしたら学びやすいか、を悩んで悩んで、ようやく「これ」という形にまとまりました。
リトミックは「資格」という風潮がなぜかあるけれど、資格がなくても教えられます。
逆を言えば、資格を取ったところで、レッスンができるかと言えばそうではないんですよね。
やってみればわかる。
どんなに立派なテキストがあっても、それだけでは不十分であることが。
それから、リトミックの指導案はもらえても、根本的な「リトミックってなんなのか」とか、子どもの発達について学んでいないとか。

学ぶ→実践する(レッスンをやってみる)までも勇気がいって、始めてみればうまくいかなくて自信がなくなって「もうリトミックやめちゃおうかな」となる人も多いと聞きます。
それはあまりにもったいない。
せっかく「リトミック」に出逢って、勉強して、自分にしかできないレッスンがあるのに。

私もたくさん壁にぶつかって、何度もリトミックをやめようと思ったけれど、それでもなんとか続けてきて、ようやく「自分らしい」レッスンができるようになりました。
そしたら、生徒の反応も変わりました。
退会者はほとんどいなくて、そのままピアノのレッスンに繋がる生徒も増えてきました。

この「自分らしく」が私は肝だと思っています。
他人が作った指導案は、それがどんなに素晴らしいものでも、そこには自分のキャラクターや目の前の生徒の実態は反映されていない。
そして、子どものコンディションは毎回違います。
私はリトミックのレッスンは「ライブ」だと思っていて、自分の作った指導案の押し付けにならず、いかに目の前の生徒と状況に対応していけるか、そこが大事だと思っています。
今ではリトミックの指導案を書いた本はたくさん出ていますが、それをなぞるだけでは「…で?」っていう空気になっちゃいます。
リトミックは「自分で生み出す」力が無いと、教えることが続かなくなります。

そこを、フォローしたい。

私は音楽が大好きで、リトミックのアプローチで、特に小さな子どもたちの潜在能力(音楽に関わらず)が開いていくのを見てきたので、リトミックがもっともっと日本で、仙台で、広まればいいと思っています。
(ちなみに、大人もリトミックで変わります。高校生はめっちゃ変わってた。クラス作りにもすごく役立ちました。)

あと、レッスンの作り方、教室の経営、生徒募集のやり方、イベントの作り方、お母さんのケア、など。
教えてもらったことないな、と思うものも、自分の講座には入れました。
講座を受ける方が自信をもって「自分のレッスン」ができるように、そしてそれをちゃんと「仕事」にできるように、サポートしたいと思っています。

なんでこれをやろうと思ったか。
齢四十。
少しずつ自分の体力の衰えを感じ、周りでも同世代の病気の話が増え、果たして自分はこれからの人生で何をやるべきなのか、と考えるようになりました。
私は自分の「メソッド」的なものは持っていません。
作ろうと思ったこともあったけど、そこに何の意味と価値があるのか見出せず、やめました。
それよりも、人生が「良い」と魂レベルで感じていること、そして現に効果があるものを、人に伝え、それをまたその人らしくアレンジしてその「良さ」が伝播していけばいいのではないかと思っているのです。

私は人間が好きで教師になりました。
今もその思いがあって音楽教室をやっています。
そして、私の強みは音楽なので、音楽というツールを使って「生きてるって楽しい」ということを無意識レベルで感じながら生きていくことにアプローチできることは、今はこれだな、と思ったので、始めてみることにしました。

この話だけで一晩語れるわ。
2つ目も書こうと思ったけど、予想外に長くなったのでまた今度。

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