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無価値感の正体

先日 秋の大阪城公園を散歩してきました

金木犀が満開でとても綺麗でした
香りをお届けできないのがとても残念です

今年は外国からのお客様が戻ってこられて
外国からのお客様の笑顔を拝見してると
私も幸せになります

笑顔のお裾分けを ありがとうございます
日本を楽しんでいただけたらと思います

さて 主のカタブツは ほぼ在宅勤務ですが
先日久しぶりに出社しました

大勢の同僚達とガッツリ関わって仕事をし
帰りには居酒屋でいろんな話をしました

この優等生のカタブツが選択した会社ですので
同僚達も皆 優等生ばかり

親や世間が良しとする 人生のコースを
間違えないようにと 必死に生きています

そして 皆ストレスフルです

面白いことに 飲み会の話題はいつもネガティブ寄り

今月の売上目標に到達しない不安から
体調を崩しているのに休めないでいる同僚

夫婦関係がうまくいかず離婚をしたのに
親に報告できないで悩んでいる同僚

仕事やプライベートのあらゆる不満を
飲み歩くことやショッピングで解消して借金に悩む同僚

飲み会はいつも 人の愚痴を聞いてる時間が圧倒的に長くて
帰宅するとグッタリして 必ず悪夢をみます(笑)

そういうカタブツも 少し前までは皆と全く同じでした

一人暮らしをしていた頃は
仕事で夜遅くに帰宅して お酒を飲みながら
コンビニ弁当や冷凍食品を流し込むように食べ

今日一日の出来事を LINEでぬんちゃんに愚痴り続け
布団に入ってからも SNSやネットニュースを見ては
頭の中で 人を妬んだり 批判したり
一日の締めくくりを 嫌な気分で終わらせる日々

翌朝は 「今日もまた嫌な一日が始まる」と
だるくて重い体を引きずって出社していました

休日も家にいるとソワソワして落ち着かないので
USJだ TDRだ 映画だ 宝塚だ シルクドソレイユだ と
家事もせず 外出して遊んでばかり

買い物で散財し 飲み食いで憂さ晴らしし
飲み過ぎや食べ過ぎで お腹の具合が悪くて
常に胃腸薬を持ち歩く始末

ジャンクフードばかり食べるし 睡眠不足だしで
お肌も荒れて それを隠すために厚化粧して
目の保養と言い訳しては 推し活に月数万円も使って

いつも あれも足りない これも足りない
もっと欲しい もっともっと と 外側から補うことばかり

そんな数年間の一人暮らしで 心身共に限界を感じた頃
ぬんちゃんと二人で暮らすことになりました

そんなカタブツへ ぬんちゃんからの質問です

「あなたに足りないものは何?」
「仕事もある 家もある 家族もいる 健康な体もある 全部あるでしょ?」
「いったい何が足りないと思い込んでるの?」
「誰かと比べると少ないから足りないと思う」
「何を基準にしてるの?誰を基準に生きてるの?」

「あなたはいつも 足りない 気に入らない 思い通りにならないと言う」
「よく考えてみて あなたの思い通りの世界になってるでしょ?」
「不平不満・愚痴・泣き言を言い続けたい世界が毎日完成してるでしょ」「あなたの思いと言葉と行動が その世界を創造してるんだよ」

あぁ…何年も聞いていたはずなのに 全然分かっていなかった

引き寄せの法則とかシークレットとか
ぬんちゃんから話を聞いたり 映画を見たりしていたものの

思考の基準が完全に「物質主義」だった私は
引き寄せの法則=お金や彼氏や賞賛を手に入れる方法」だと
大きな勘違いをしていたのです
 
ワクワクして好きなことだけしてたら
自分の欲しい物が引き寄せられるんだ!
大金が手に入るんだ!と

いわゆる「お花畑系スピリチュアル」の泥沼にハマり
一時期はスピリチュアル界のマウント合戦にも参戦してました

お金もたくさん注ぎ込んで 邪気を飛ばしたり飛ばされたり
金銭的にも精神的にも痛い目に合いました

そうやって自らネガティブエネルギーを大放出してるんだもの
そりゃネガティブな現実が引き寄せられるわけです

結局 私はスピリチュアルの世界でも
どちらが正しいか どちらが上か どちらが稼いでいるか
そういう基準で量って リアル社会と同じことをしていたのです

そういう時 ぬんちゃんは高みの見物
「自分が痛い目に合わないと分からないから」と

カタブツも カタブツ父も 超現実主義・超物質主義なので
目に見える結果・他者からの評価が全てという価値観

だから スピリチュアルに生きるぬんちゃんを
父娘揃って ずっと馬鹿にしていました

「お金を稼げない = 何も出来ない無能な奴」

改めて言語化してみるとゾッとしますが
内心そう思っていたのは事実です

日々あらゆる方向から マウントしてくる父娘に対して
「無能なぬんちゃん」から返ってくる言葉は 最強でした

「月末に予算を達成しても 翌日にはリセットされてゼロ」
「会社から表彰されても 一瞬の快感でしかない」
「外からの評価なんて 人や場所が変われば全く違うもの」
「どれだけ稼いでも不必要なことに使うなら 
 無理をしてまで稼がなくていい」
「これが正解だ!というのは あなたの勝手な思い込み」

 「もしこの世界にたった一つの正解があると仮定するなら
 それは学校教育の中だけね」
「社会は学校ではないので たった一つの正解など存在しません」

「正解がない あやふやな物事のために
 自分の大切な時間を使うのは 命の無駄遣い」
「自分の命を無駄遣いしているなら その人の人生は無駄でしょ?」
「時間や命を無駄にして生きてるんだから
 一生かかっても満足することはないね」

「あなたは何のために生まれたの?」
「親や先生や上司に気に入られるため?」
「社会や会社で認められるため?」
「その上司がいなくなったら?
 リストラされたら?もしも会社が潰れたら?」
「あなたの人生は そこで終了するの?」

「学校や会社での成績が
 自分の価値を決めると信じ込んでいる」
「物質のみでしか幸福度をはかれない人に
 何を言っても通じないので お好きにどうぞ だけど」

「あなたたちは《不幸が趣味》のドM」
「性癖だから止めはしないけどね」

・・・無能なぬんちゃんは 無敵です

そして こんな風に 痛いところを突かれると
つい逆ギレして
またマウントしてしまう父娘でした・・・トホホ


この動画の冒頭 金木犀がたくさん咲いています

お恥ずかしながら カタブツは
金木犀がいつ咲くのかどんな花なのか
アラサーになるまで知りませんでした

昨年 初めて満開の金木犀に出会って感動しました

こんな小さな花の集まりだったのか!
こんなにいい香りなのか!
市販されてる「キンモクセイの香り」とは違う(笑)

ぬんちゃんは自然の草花が大好きで
どんな花もその時にしか見られないからと
公園散歩に行くと雑草と呼ばれる小さな花も愛でています

今まで 数え切れないほど一緒に散歩に行ったし
毎年 梅も 桃も 桜も お花見は欠かさずに行ったのに

カタブツも カタブツ父も 飲み食いと愚痴話に夢中で
咲いている花には興味もなかったのだと気付きました

花見という名の「青空愚痴り飲み会」・・・最低やな

そんな話をしていたら ぬんちゃんが ふと
「私がお花見弁当を作らなくなった理由がソレ」

たしかに いつからかお惣菜を買って行くようになりました

「あなたたちは空腹を満たすことだけが目的だから
 手作りしても 美味しかった すら言わない」

「一生懸命手作りするのは その価値が分かる人にだけでいい
 ある日そう思って スーパーで花見弁当を買おうと決めたの」

「空腹を満たすだけならコンビニ弁当を買えばいいよね」
「お弁当を作るのは 母親の義務だからじゃない」
「美味しいと喜んで食べて欲しいからだよ」

「その価値を分からない人に 作ってあげる価値はない 」

「私が思う<価値>って 人の内側のことね」
「外側のことで人の価値をはかるなんてナンセンスすぎる」


今回のお散歩でたくさんの気付きがありました

今まで同じ公園を一緒に歩いていても
見ているものや感じていることが全く違っていた

家族なのに全く別の世界を創造していたわけです

夫婦でも 親子でも 全く別の価値観で
それをどちらか片方に合わせるべきという思い込みが
人間が不幸になる原因なのかもしれません

血縁があってもなくても
それぞれ個々の価値観を尊重することが大切

そのためには 自分の価値観を素直に共有すること
そして相手の価値観を否定しないことが大切

「言葉のドッチボールじゃなくて
 言葉のキャッチボールをして下さい」

これはいつもぬんちゃんに言われること

「人は自分の意見を言いたがるけど 人の意見は聞きたがらない」
「それでコミュニケーションが取れるはずがない」
「コミュニケーション不足の原因は 相手の話に耳を傾ける気が無いこと」

カタブツの耳が痛い話です

今年 改めて満開の金木犀をゆっくり味わっているとき
「今この瞬間の幸せを味わうってこういうことか!」と
魂が震える感じがしました

「豊かさの解釈を勘違いしている」
「すでにある豊かさに気付きなさい」

その言葉の意味が うっすら分かった気がします
超物質主義のカタブツなので うっすら…ですが(笑)

スピリチュアルなぬんちゃんですが
社会で優等生な会社員であるカタブツを否定したりはしません

最大限のサポートをしてくれているし
心身共に健康で仕事が出来るのは
間違いなくぬんちゃんのサポートのおかげ

自営業になってスピリチュアルな活動をすることが
スピリチュアルに生きることではないと断言しています

何かの能力を身につけることがスピリチュアルではない
自分以外の何者かになろうとする必要はない

今のまま そのままの自分ですでに無限の価値がある
それに気付いて そこから人生を生きること

そしたら人生はゲームなんだと気付けるから
ゲームなんだから 楽しく遊べばいいんだよ

人生をゲーム画面だと思って
ずーーーっと同じ画面で
ずーーーっと同じ登場人物で
ずーーーっと変化がなくて
ずーーーっと単調だったら?

いろんな刺激が欲しいよね

ジェットコースターが楽しいのは
上ったり落ちたり 回ったり振り回されたり
自分では予想できない動きがあるから 楽しいじゃない?
そして 「あー楽しかった!」って降りていく

人生もそういうゲームだから
貧乏ゲームもアリ 病人ゲームもアリ 不倫ゲームもアリ

ほとんどのゲームに「無価値感設定」があって
そこから展開するパターンが多いんだけどね

自らいろんな設定をしている 人生ゲーム
自分が設定して その設定に同意し続けている

それに気付けば 設定解除できるんだよね

そのゲーム設定は自分の内側にあるから
私もまだまだ気付いていない設定があって
それを見つけて解除することを
苦しむのはやめて 楽しもうとしてる

設定解除を苦しむとするのも
また新しい設定になっちゃうから(笑)

設定を「全てを楽しむ」にする
それが私の「基本設定」かな(笑)

このnoteが 何か少しでもお役に立てたら嬉しいです
最後までご覧いただきありがとうございました


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