ヨーヨーは自分にとって触媒である

ヨーヨーは自分にとって何なのだろうとふと思い、勢いそのままに書いた。結論としてはタイトルの通り。恐ろしく大雑把で曖昧な部分や矛盾があるかもしれないがご容赦を。

①ヨーヨーは人生という化学反応を促進させるようなもの=触媒

触媒とは化学反応を促進させるようなもので自身は変化しない。別に無くてもよいもの。無くても化学反応はする。
自他共に認める理系の人間らしく、人生=化学反応だと思っている。ヨーヨーが化学反応そのものな人も中にはいるだろう。それは凄いことであるし尊敬の眼差しでいる。自分は別でもっと興味がある事が見つかればそちらに関心を向けると思う。人生という化学反応を促進、豊かにするものではあるが無くてはならないものでは無い。だから触媒という表現が当てはまる気がしている。

②何かに強く依存することは非常に危険

個人的に何かに強く依存する事を非常に危険視している。普通に人生を歩んでいくだけでもあらゆるものに依存している。何かに強く依存すれば、それが無くなった時に人生が大きく揺らいで最悪の場合崩壊する。個人的に一度人生が終わりかけて以降この思考になった。だから特定のものでないといけないという概念がない。その代わり何か大きな事を成し遂げる事もないだろうが。自分にそこまでは期待しない。

③ヨーヨーでなければ成し得なかった事は今のところ殆どない

ヨーヨーでなければ成し得なかった事は今のところ殆どない。人生にもしもはないので基本考えないが別の触媒でもそれなりに良い人生になっていただろう。唯一、あちこちに行くようになっていたかは分からない。ヨーヨーだから日本の北から南まで身ひとつで足を運ぶようになった。そのうち海外にも行くかもしれない。どういうことか?僕を知っている人なら事情は分かるだろう。今年は福岡に行って年末には新潟の予定。出来たらもう一箇所何処かに顔を出したい。ちなみに去年は札幌に名古屋、大阪、新潟。本当に不思議に思う。元々独りで過ごすのが性に合っているため、ヨーヨーと出会ってなければずっと引きこもって読書やゲームをしていたかもしれない。

④世の中は沢山の触媒に溢れているからひとつのことに拘る理由はない

世の中は沢山の触媒に溢れている。だからひとつのことが駄目でもどんどん他の触媒を探せばよいと思っている。どんな触媒に出会うかは運含め偶然の産物。触媒に溢れている環境はとても恵まれている。世界には触媒に出会えず人生を終えていく人もいるのだから。



と色々書いてはみたが僕を知る人からすれば触媒では済まない状態だろと言われてしまうかもしれない。でも実際そんな感じ。基本的に飽きっぽい人間なので明日にはヨーヨーをしてないかもしれない。これまで実際二度も辞めている。その二度とも辞めたのは自分の意思なので後悔は全くしていない。よく「もっと若いうちからヨーヨーをしておけば良かった」「ヨーヨーを辞めずに続けていれば」と口にする人がいるが、その代わりに別の良い触媒に出会っていただけの話ではと思う。安易に後悔するのは過去の自分に失礼な気も。過去の自分がいるから今の自分がいるわけで。続けるのも大事だけど、より良い触媒を求めて今の触媒から変える事も人生をより豊かにするために必要なことだと思っている。

最近触りまくってる🪀たち。この絵文字初めて使った。



ただ、今はヨーヨーがしたい。それだけ。
人生はそれくらいシンプルで良い。

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