雪結に住んでみてからの私の話

雪結にみんなが住み始めたのが2月10日。ちょうど一か月経った時にnoteを書こうと思っていたのに、こんなに遅くなってしまいました。もうね、色々と学びがありすぎて。感謝することばかりで。あいかわらず今回のnoteも長くなりそうだ。次からはもっと頻繁に挙げていくことにしよう。

実は、雪結を10日間離れて、関西をうろうろして、長野の実家に帰っていた。今は札幌へ向かって移動中。はやく雪結に着きたいと思いつつ、こうやって書く時間がまとまってとれたことにちょっとほっとしている。雪結に帰ったらたくさん話しちゃうからね、

こんなにも長い間雪結を離れたのは初めてだ。雪結は毎日ころころと顔を変えるから、私のいなかった10日間なにがあったのか、どんな雪結だったのか、みんななにしてなにを思っていたのか、それを直接感じることができないのはだいぶ寂しい。はやくみんなに会いたいよう

シェアハウスとしての雪結がはじまって2か月が経とうとしている。

はやい。けど、とても密度の濃い時間を過ごしているから長くも感じる。

今回のnoteでは、雪結をとおした、今日までの私を振り返ることにする。おつきあいくださいな。

※アルファベットで示してあるのは住人です。Mが多いですが、住人にMのつくひとが多いだけですので別の人です。

※投稿が遅くなりましたが、書いたのは一週間前くらいです。

雪結のはじまり

雪結に住人が住み始めてからしばらくは驚きの連続だった。

始まるまでは、どんな人が入ってどんな場になるのかが分からず不安があったのだけれど、一気に人が増えて、場ができたとき、それは想像をはるかにこえた場となっていた。知り合ってまだ少しなのに大好きな人たちだった、最強だと思った。みんな、所属とか年齢とか性別とか関係なしに、「その人」としてお互いをみていて、本気で向き合って話している感じがした。雪結に対する想いがめちゃくちゃ熱かった。そんなに本気で話してくれるの、と驚いた。すごすぎるよ。最強のメンバーだ。

この時の日記を振り返ると、「この人たちといたい。なんでもできるし、どこまでもいける気がする。大丈夫だ。わたしはちゃんとここにいる。帰ってくる場所がある。幸せだ。」と書かれていた。

ここで、あらためて、シェアハウス雪結に興味を持ってくれたみなさん、薦めてくださったみなさん、ありがとうございます。まだはじまっていない雪結に、どんな場になるのかも分からないのに、紹介してくれてありがとうございます。飛び込んできてくれてありがとうございます。本当に、幸せです。


心が焦っていた2週間

さて。しかし、そんな、すごいすごいの連続で最強だ―!!とただ感じていた私に転機が訪れた。2週間くらいの、もやもや期、焦り期が訪れたのだ。

きっかけは色々。

みんなが居心地が良いと思える場にするにはどうしたらいいんだろう、みんなが幸せだと思えるような場にはどうしたらなるんだろう、素でいられるようにするには。雪結とはなんだろう、雪結の目指す姿はなんだろう、雪結はどうしたらもっと良くなるんだろう。どうしたら住人同士の距離が近くなるんだろう。私は何をしたらいいんだろう。みんなと話さなくちゃ。一人一人と向き合わなくちゃ。

悩んで、焦って、苦しくなって

雪結に帰りたくないと思った。逃げたいと思った。あんなに大好きな雪結なのに、避けたい場所になっていた。

誰かの居心地の良い場所を考えていたつもりなのに、一番自分自身が居心地の悪さを感じていた。

この頃のメモを振り返ると、「気持ち悪い、自分が自分じゃないみたいで気持ち悪い。吐きそうだ」とあった。「鈴木うらら」という人間を生きているという感じがしていた。「鈴木うらら」と「自分」が切り離されていて、気持ち悪かった。


やさしさの味

ある日、帰りたくなくて、すすきののとあるチェーン店に入った。いつも美味しいと感じていたものが、なんにも味がしなかった。不味いと思った。こんなのにお金を払うのか、と思いながら店を出た。今の自分とても嫌いだ、と感じながら、重い足取りで雪結へと帰った。

だけど、おかえり、といつものあたたかさでみんなが迎えてくれた。「Tの作ってくれたスープと玄米があるよ」。一食分食べてきたところで正直お腹はいっぱいだった。でも、これは食べなくては、と思った。食べてきたことを隠して、スープと玄米をいただいた。塩と胡椒だけで味付けしてあるだけの温かいスープ、あまりにも美味しすぎた。優しさと、愛の味がした。泣きそうになった。たぶん世界一美味しかった。あたたかかった。

ああ、自分何してんだろうな、って思った。ここはとっても幸せな場所なのに。


自分を幸せにできるのは自分

また、ある日、Mと温泉にいった。二人で行ったのに、ほとんど何も話さず、それぞれ自分の心の赴くままに温泉に入り、サウナに入り、何も考えず瞑想した。その時、今とても幸せだと感じた。

雪結を、みんなが幸せになれる場所にしようと、したいと、思っていた。雪結が、誰にとっても居心地の良い場所で、誰にとっても帰りたくなる場所にしたい。

だけど今、雪結ではない場所で、ひとりの世界に入ってぼーっとしている自分が幸せを感じていた。お風呂上りには、自分を甘やかしてアップルパイとチーズケーキとドーナツを買って食べた。幸せすぎた。

Mが帰り道に呟いた、「自分を幸せにできるのは自分」。

だれにとっても幸せな場所ってつくるものではないんだ。”自分”が幸せを感じた時に、その場が”自分”にとっての幸せな場所になる。誰かの幸せよりも、まず、自分が幸せであらなきゃと気づくことができた。心に余裕をもってまずは私が楽しむこと。

雪結が幸せな場であることをめざすのではなく、誰かにとって、私にとって、数多くある「幸せ」のひとつになればいいな、と思えるようになった。

そこに気づかせてくれてありがとう。

なにをしても、なにをしなくてもいい。

在りたい在り方でそこにいたらいい。


心の着地

 ある日みんなで話しているときに、MとTが、まだ少し住人同士の距離が遠いからもっと遊ぼうよ、もっと家族になろうよ、ってみんなに提案してきた。「家族」私にとってはそれがキーワードだった。

 みんなお互いを知るためにたくさん話した方が良い、とか、もっと距離をつめる方法探さなきゃ、とか、とにかく焦っていたけれど、あ、家族か、家族でいいのか、と気づけて、すごく心が軽くなって溶けた。悩んでいた時は、少し組織みたいに考えていたのかもしれない。家族って、考えて仲良くなるものではないよなあ。気づいたら近くにいて、在りたい在り方でそこにいて。

「家族でいいのか」「家族になりたい」(てきなこと)をつぶやいたら、「うーん、すでに私は家族だと思ってるよ」と一人。「え、もうその空間できてない?少なくとも俺にとってはそうだけど」とまた一人。

ああ、ここにあったんだ。ちゃんと、あったんだ。

めざさなくても、ただ、今ある幸せとか、あったかさ、そばにいる人を感じればいいんだ。

そうやって思ってから、周りをみてみると、とってもあたたかかった。


あったかくて最高で最強だ

迷って、焦って、ぐるぐるして、悩んで、不安になって、迷走してたけど。

ふっと我に返って、ふっと降り立ってみたら、素敵で最強すぎるみんながそっと手を広げて笑顔で待っていてくれた。

大丈夫だ。十分すぎるくらいに。

やっぱり、ものすごくあったかくて最高で最強だ。

本当にありがとう。

焦る必要はない、うららがやる必要はない、みんなそれぞれにタイミングがある、と常に伝えてくれて。

自分を幸せにできるのは自分だと、気付かせてくれて。

ずっと気にかけて、心配してアクションを起こそうとしてくれて。

やさしさと愛情の味はどの調味料にも勝ることを教えてくれて。

なにも言わずハグをしてくれて。

本気で向き合ってくれて。話してくれて。

幸せだ。

「うらら」と「自分」が再びくっついた。


ありがとう。

みんな本当にありがとう。

だいすきすぎるよ。

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