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長女の単純性血管腫

昨日の続きです。
思いもよらぬ緊急帝王切開でしたが、私は流産死産を乗り越えやっと生きている赤ちゃんを産む事が出来ました。

繰り返す掻爬手術による傷だらけの子宮を処置する長い手術が終わり、病室に戻りました。
病室には東京から駆けつけた夫もいましたが、私は麻酔の影響で気持ち悪くてぐったり…。
しばらくすると、病室にカートに乗った赤ちゃんが運ばれて来ました。
担当医と見知らぬお医者さんも一緒でした。この見知らぬお医者さんは皮膚科医でおもむろに淡々と単純性血管腫について説明してくれました。
ん?何のこと?皮膚科?
その時やっと赤ちゃんの右顔ほっぺた半分から耳、顎、首が赤紫色に変色している事に気づきました。
単純性血管腫はポートワイン血管腫とも呼ばれ、赤ワインをバーっとこぼしたような色形のアザの事です。長女のアザは右側から赤ワインをバシャっとかけられ、首まで垂れている感じ。
皮膚科医は現在の技術ではレーザーで少しずつ薄くして行く事しか出来ません。と説明してくれましたが、出産したての私は生きた状態で赤ちゃんを産めたことに高揚していて「何言ってんだろ?」って感じで全く意味が分かりませんでした。
産後は新生児ケアと帝王切開の母体回復で1週間入院しました。
お腹を切っているので傷の痛みが治るまで鎮痛剤無しでは起き上がる事もできませんでした。緊急帝王切開で普通より大きく縦に切れていて回復に時間がかかりました。
それでも毎日決まった時間になると病室にカートに乗った赤ちゃんが運ばれて来て授乳とオムツ変え、体重測定を行います。
傷の痛みがマシになると、自分でカートを押して体重を測る部屋に行ったり指定場所にオムツを捨てに行けるようになりました。
そうなると他のお母さん達と部屋で会う機会がありお互いの赤ちゃんを見せ合って軽く挨拶するようになります。
そこでやっと、私は長女の単純性血管腫に向き合う事になりました。
どのお母さんも長女の顔を見ると一瞬戸惑って言葉を探しているのが分かりました。
明らかに顔の半分が赤紫色でしたからね…。

親戚なども会いに来てくれましたが、みんな「これは大きくなると消えてなくなるだよね?」と、楽観的でアザの事にはあまり触れず普通にお祝いしてくれました。

でも、このアザは消えません。
何度も繰り返しレーザーを当てると多少薄くはなりますが。

この時の私はこれから始まる単純性血管腫との葛藤を知らず、ただ生きている赤ちゃんを産めた事だけに全幸福を感じていました。

続く…。

写真は太陽じゃなくて月です。
ピカピカすぎてまるで太陽みたい。

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