愛に罵倒 遭う日で皺

イタリア語を学習していて「stelo」という単語を聞いて“ああ、茎(STEM)ね”と思った程度には影響を受けてきた*凹(ゆきぼこ)です。


記事のタイトルは輪廻ハイライト(これを10代の時に書いたって恐ろしいほどの才能…)のAメロ部分の歌詞をもじったもので、*凹の今の心境を表すものでもあります

というのも、受験番号がエントリー番号壱(ナンバーワン)でなかったのと、張り出された紙から自分の番号を探し出せた経験がちょっと足りなかったのだけは確かな敗訴ストリッパーこと一浪選手(ワンチャン51番とかだった可能性はある)な*凹が当時最も影響を受けたもの(後述)について書こうとして改めて色々調べてたら、元ネタであるThe Beatlesの『マジカル・ミステリー・ツアー』の解説をしている方の動画(こちら)に行き着き、曲そのものの面白さもさることながら、語り手の熱量の高さになんだか嬉しくなってしまって、40分ぐらいある動画にもかかわらず、再生速度を弄くるのもあら熱を取る作業のように感じて惜しくなって、気づいたら標準速度で最後まで視聴していて。。。

ただの分析的な解説じゃなくてちゃんと熱量と愛が感じられるものだったから良かったんですよね。嬉しくなっちゃって。Youtubeってたまにこういう動画に出会えるからやめられないんだよなぁ。

動画の中で取り上げられているテンポの変わり方のギミックについては、ソルフェージュ的な検証を重ねれば答えは出そうだけどそれはまたの機会にするとして(目まぐるしくテンポが変わる曲で指揮者に釘付け状態で弾いた数々の記憶が蘇る…音楽の作りそのものも自然だけど、バンドの演奏自体もまたとても自然…手前味噌だけどやっぱりビートルズってすごい…当たり前になりすぎて普通に聴いちゃってるけど普通じゃないものが多すぎるの、コードとかもそうだけど改めてすごい…)

今回取り上げたい本題はズバリ、

タモリさんがタモリさんを詰め込んだアルバム、

ラジカル・ヒステリー・ツアー


『えっ、あのタモリがCD!?』


世代的にご存知な方や、昭和のサブカルにアンテナを張っている方でなければそう思うかもしれませんが、あのタモリさんです。

世の中にたくさん生息しているタモリストたちの文章は探せば腐るほど出てくるし、なぜタモリさんが音楽なのか?という疑問に対する答えは、ほぼ日刊イトイ新聞内に掲載されているこの夢のような記事に大筋は書かれているかと思われるので是非一読していただくとして、*凹がこのアルバムと出会った経緯や、前述の元ネタ『マジカル・ミステリー・ツアー』との比較、アルバムに収録されている内容などについて触れていきたいと思います。

誰もが知るタモリさんに出会い直したきっかけ

元々、空耳アワーは人並みに知ってて面白いと思っていたし、ときたまテレビで観られる四カ国語麻雀や各国語でのはとバス観光ツアーを観てはシビれるなぁと思っていたところ、今となってはもう時系列が分からなくなってしまっているんですが、当時読み漁っていたほぼ日の特集記事タモリ先生の午後。や、横尾忠則氏も交えてのY字路談義。を通じてタモリさんの美学に感化されたり、ジャズピアニスト・山下洋輔氏らが宿泊していたホテルの部屋の前をたまたま通りかかったタモリさんが、インチキ歌舞伎役者としてそのドンチャン騒ぎに混ざったという、のちにデビューのきっかけとなっていく伝説のエピソードを知るうちに居てもたってもいられなくなり、そこから狂ったように過去の足跡をあらゆる形で収集するようになっていきました。

のちに上京した際、東京という街や鉄道に対して偏向的な価値観を捨て、早い段階から愛着を持つことができたのは完全にタモリさん・椎名林檎嬢・SUPER BELL"Sのお陰ですね。タモリさんは会わずに一生を終えたいタイプの方ですが、タモリ電車クラブの会員になるのは密やかで淡い夢かもしれません。

趣味のレコードショップ巡りのおかげで

幼少期から音楽に触れていたのはもちろん、祖父がCDやレコードを1000枚以上集めている愛好家だった影響もあり、クラシックCDに関しては必要とあらばわが家の大蔵省(歳がばれますね)によってケチることなく買い与えてもらえたり、親子揃って執念で掘り出し物を図書館で探し出したり、そういう家庭に育った*凹ですが、いっぽうでTVに出てくるような流行曲を歌う歌手や、一連の産業にまったく関心のない親の意見が強く通りやすい側面もあり、そういったカルチャーに触れるには随分苦労しました。

新品のCDを自力で買えるような財力がない小学生の頃から、学校帰りに近くの病院と駅とを循環する無料バスに乗り込み駅前で下車し、近くにあるレンタルショップでレンタル落ちしたCDを安価で狂ったように買い占めたり、好きなアーティストのMVが放映されるであろう時間にショップに赴き、店内に設置されたスクリーンの前で食い入るように見入ったりと、まるで戦後の復興期に街角テレビで力道山を応援していた時代のような逞しさで親の目をかいくぐって生き存えていたのは今となっては笑い話ですが、当時は自分なりに必死でした。

そんな時代を経て、少しだけお小遣いを自由に使える頃になると、タワレコやHMVの店内試聴機を片っ端から再生し未聴の音楽との出会いを求めるようになったり、街の中心部にあるサラリーマン御用達の駅ビルに入る中古レコードショップで掘り出し物を漁るようになり、流行り廃れとは直接関係のないところで、自分の耳で聴いて好きになる音楽をたくさん見つけていきました(こうして出会ったCDについては今後追って語っていきたいと思います)。CDが売れなくなって、街からレコードショップが姿を消していったのはとても寂しい現象でしたが、12~3年前ぐらいまでは様々な店を手当たり次第覗いていました。そんな中で出会った一枚が『ラジカル・ヒステリー・ツアー』です。

タモリがタモリを極めた

本作は1981年に発売された同名レコードを、芸能活動30周年を記念してボーナストラックを加えてCD化したもので、他にもハナモゲラ相撲中継や中洲産業大学教授の講義のような十八番芸を軸に、ところどころ音楽のエッセンスをちりばめた『タモリ』 『タモリ2』といったCDも同時リリースされたなかで、このアルバムはエッセンスどころか音楽がメイン、いや違う、タモリがタモリを極めたら自然とめちゃくちゃすごいミュージシャンも本気でノッてしまったアルバムと言った方が正しいか。

まるで前述した山下洋輔氏らとの出会いきっかけに大物たちが夢中になったように、きっと携わったミュージシャンたちは心から楽しんでこの作品を制作したんじゃないかなぁ。だいたいそもそもサウンドエフェクターにタモリさんの才能に惚れ込んで溺愛した赤塚不二夫氏の名前あるし。バカ豪華じゃねぇかよ。

T-SQUAREとか桑田佳祐とか参加してるし。バカ豪k(2回目)

レコード発売当初の反響とか、手にした層ってどんな感じだったんだろーな。当時インターネットが発達していれば、リアルタイムの空気感を感じられる熱量の高い良質なレビューがもっとたくさん溢れていたんじゃないかと悔やまれますが、元ネタの血も流れていない、CD版が最初の出会いとなった世代として感じたことを綴っていくことにします。今回記事にするにあたって新しく調べ直したこともあるけど、考察とか分析ってリスペクトと冒涜の差が紙一重だから、読者のみなさんに後者だと思われないといいなぁ~。



サイケでサイコなオマージュ?いや、健全だからこそ

アルバムタイトルであり、標題曲にもなっている『ラジカル・ヒステリー・ツアー』は前述のとおりビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』のオマージュと見受けられますが、元ネタよろしく、ストーリーの世界観や音楽の世界観へと誘うミステリーツアーの進行役のテイを取りつつ、オクスリ的な影響下での音楽制作を実験的に行っていたとされるビートルズがサイケな魅力を放っていたところもちゃんと模倣している。といっても、当然合法的にそれをやってのけている。健全に不健全でいてこその狂気。そこに人を巻き込んじゃうあたりも、後に映画化された本家とリンクしているような気がしますね。



歌詞カードじゃ分からない、見えない面白さ

たとえば1曲目『ラジカル・ヒステリー・ツアー』の中に出てくる「ツアー」という歌詞の「アー」と伸びている部分を金管楽器のワウワウミュート(この動画の4分18秒あたりから解説が始まりますが、他のミュートについても実演されていて面白いので是非頭からのご視聴をおすすめします)のような感じでウワウワ言っているのなんて、技巧的なメリスマなんてク●くらえと言わんばかりに愉快だし、それがだんだん怒り狂ったシャウトになっていって、自然な流れで曲間のひとりコントに入っていく様はRun-D.M.C.がいいともに来た際に見せた打ち合わせなしの即興なんちゃってラップバトルに通ずるエモさ(某所で『タモリ ラップ』と検索かければたぶん出ます)を感じますね。

(余談ですが、「ひょーきん」と表記された歌詞の最後を、アラレちゃんよろしく「きぃぃぃぃぃぃぃん」と鼻に掛かる、喉頭をギリッギリまで上げ切ったようなあの感じで伸ばしてて気になって検索したら、レコードの制作が1981年の3~4月で、アラレちゃんのアニメ放送初回もほぼ同時期なんですよね…これが元ネタなんじゃないかと思うほど一致してるんですけど、アラレちゃん以前にちびっこの間で流行ってて、それをアラレちゃんが取り入れたら全国的にさらにもっと広まったとか、なんかそういうことなんですかね?情報ゆる募しますんでご存知の方いたら教えてください)

逆に歌詞を見るとより一層味わい深く感じるものもあり、2曲目の『イケネコ・ドドネコ』に出てくる『ドドネコ』というワードの『ドド』の部分を音名に読み換えた遊びや、スペイン語っぽいなと思って聴いていたのに歌詞カードを見たら、カタカナでそれっぽいことが書かれていただけで脱力するのなんてまさしく真骨頂だし、


4曲目の『ミンク・タッチ』に至っては往年の名曲をただ羅列して歌っていて、いざ歌詞カードはどうなっているのかと見てみると、なんと文字入力しながら爆睡した時のように連打された文字が掲載されていて(それはそれでところどころ単語になっていたりする部分もあるので意味もあるのかもしれないですが)縦読みすると

『WHO ARE YOU』

になっている…遊びが高度すぎる…

ちなみにこの後に続くコントでは主人公の男が鉄道旅なのか、乗っている寝台車で寝台の天井に頭をぶつけているくだりがあるので、うつらうつらと眠りこける男を表現しているのかもしれないし、はたまた世界線の異なるストーリーや人物が同居したりする夢の世界を模倣しているのかもしれないし、ハードボイルド風な男の描写やアルバムジャケットのタモリさんの探偵風の装いにもなにか関連しているのかもしれない。想像を掻き立てられるけど、タモリさんの表現することに意味を求めるのは愚の骨頂な気もする。

でも、ここまでの流れがちゃんと音楽が音楽だけ、コントがコントだけで浮かずにちゃんと一連の流れになっているんだよなぁ。歌詞そのものに意味はないのだろうけど、ちゃんと辻褄が合っているあたりはジャズマンらしいアルバム。

そして、この曲を境に、歌詞だけ見ても曲らしく、悪い言い方をすればただの良い曲じゃないかと思える楽曲ばかり続く。

5曲目『狂い咲きフライデイ・ナイト』(探せば『今夜は最高』で本人自らトランペットを吹いている貴重な姿が観られるはず)や6曲目『スタンダード・ウィスキー・ボンボン』なんか桑田オブ桑田だし、7曲目『クレイジー・ガイ・ライク・ミー』や8曲目『惑星流し』なんて、真正面から聴いてめちゃくちゃ良い曲。だけど、それだけが楽しみ方なんだろうか。

たしかにハナモゲラ芸って、誰もが知る桑田佳祐的な、日本語に英語のニュアンスを持ち込んだ発音とわりと近いところにあると思うので、そういった意味でまっすぐアプローチしていることがタモリ的表現にも直結しているだろうから該当する2曲はともかく、『クレイジー~』はらしくないと思ってしまうほど異質で、シリアスで、ただただカッコ良くて、疑ってしまう。

(そもそも作詞したL.Hennrickって誰なんだろ。リンダ・ヘンリックという、鈴木聖美やサーカス・THE ALFEEとかに詞を提供している方はヒットするけど、この方の活動期間が1980-になってるんだよなぁ。謎深まるばかり。情報お待ちしております<m(__)m>)

歌詞はオール英詞で、和訳すると不器用な男がその哀しさを嗤う内容のようにも思えるものなんですが、これってアルバムを通じて旅をしている男の哀愁と見せかけて、実はタモリさんそのものなんじゃないのかと思ってしまうんですよね。

”滑稽に道化をやる俺”をしんみりしたバラード(として他者が書いた詞)に乗せているって、タモリさん的にはそれすらも道化なんじゃないかと思ってしまうんだけど、果たしてどうなんでしょうかね。こうして考察させること自体、『タモリ』という才能が生み出した虚構であり、エンターテインメントなのかもしれません。

そしてボーナストラック2曲を除いた、レコード版だとラストに収録されている9番目のトラック(『ラジカル・ヒステリー・ツアー』のリフレインの直前)の冒頭の台詞にはハッとさせられました。この人はちゃんと檻の中にいることを悟りながらその中で狂っている。いやむしろ規範を分かっているからこそメチャクチャできるということをメタ的に表現しているのか。

これでもか、と言わんばかりにあらゆる形の才能を出し尽くしているのに、それをひけらかすような厭らしさがまったくない。巧さではないところで刺さるものがある。表現とは何かを考えさせられますね。たぶん、こんな感想、タモリさんは白々しいと思うんだろうけど。

標題に留まらないオマージュ、加速するラジカルさ

CD版にのみ収録されているのが、ジャズコルネット奏者ナット・アダレイの『ワーク・ソング』という作品に、高田哲郎氏による日本語詞をつけた『タモリのワークソング』と、タモリさんが敬愛する偉大なるトランペット奏者マイルス・デイヴィスが『Dear Old Stockholm』として発表していることでおなじみのスウェーデン民謡『ああ麗しきベルメランド』(鮫島有美子さん×ヘルムート・ドイチュさん‼)に、伊達歩氏が日本語の歌詞をつけた『久美ちゃんMy Love~ディア・オールド・ストックホルム~』というボーナストラック2曲(これらをA面・B面として収録したレコード有)。いずれも作詞は本人ではないものの、まるで自分の言葉のように表現するタモリさんて…ほんとすごい。

前者は、この記事のタイトルに掲げた林檎氏の『輪廻ハイライト』にも通ずるような、“この歌詞をこう歌ったら英語っぽく聞こえる”という面白みと、労働歌的な風刺が混ざった内容が痛快で、後者は…これ、ストックホルム症候群的な狂気を孕んでないか。(ストックホルムだけに)

おわりに

誰に教えられたわけでもなく好きでいるものについて詳しく調べるのって、知識となる情報を言語化して記憶するのと引き替えに、言葉にしたくない素敵な感情を失う気がして意識的に避けてきたんですが、心配しなくても、自分の中の熱量はこの分量でアウトプットしたところでちっとも下がらないどころか、作品に対するリスペクトの気持ちが増したので、いまホッと胸をなで下ろしています。

語感を愉しむようにオノマトペを操り、オノマトペを愉しむように五感に訴えかける。タモリさんはいつだってそうだし、本来音楽ってそういうものなんじゃないのか。

言葉があることの便利さによって、言葉にならないものを失っていやしないか。

意味が先立つものほどその愚かしさに目を瞑っていないか。

言葉にならない言葉は言葉を超え、国を超え、時をも超えていく。

_このタイミングで改めて『ラジカル』という言葉を調べてみたんですが

“現状を変えることに対して進んで働きかける様子”(出典:weblio辞書)

という意味があるんですね。掘れば掘るほど、今の自分に刺さるわけだ。

自分の中で言語化されていなかった領域に踏み入れて、勇気を出して言語化して外に出すことで、もう既に表面化され、他者と共有済となっている己のバイオグラフィーや音楽的なスタンスと、はじめて真に融合していけるのだと思う。

まさに

I never thought I'd feel this way(愛に罵倒 遭う日で皺)




…改めて、note始めてよかった。

【P.S.】決してお金の有り余っていたバブル時代に残した名の通るスターの片手間の産物というわけではない良質なアルバムなので、↑のタイトル文字についたリンクから試聴に飛んでみて欲しいし、更に気が向いたら、今は入手が難しいかもしれないけれど、もし中古ショップで見つけることができたら是非一度手にしてみて欲しいです。あと知り合いの人は言ってくれたらしっぽ振って貸します。

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