音大出身者が自ら隔ててしまいがちな他ジャンルの音楽との距離について

ひとつ前の記事では本分とする分野について、結果ではなく過程にフォーカスした内容を己を省みながら書きましたが、今後少しずつ他ジャンルの音楽の好みについても触れていきたいなと思っています。

でもその前に。

日本の近代以降の音楽シーンって、かの芸術の最高学府の成り立ちからしてそうなんですが、アカデミズムと大衆音楽をポジショニングマップ(よく女性誌の”赤文字系””青文字系”(古いって言わないで)とかをそれぞれ”シンプル”とか”派手目”とか分布図で示す時に使う、あの図表)で表すと全く相容れない場所に位置しているところからスタートしていて、社会的ポジションが高く大衆への影響力が高い人物ほどクラシック音楽などを好む傾向が強かったことから、上昇志向の高い層からは、大衆が好む音楽=低俗なものというレッテルが貼られ、大衆からは実態に触れられぬまま悪い意味で高尚なものとしてクラシック音楽が敬遠される…

という風潮が長く存在し、その当時から比べれば現在はマシになった方だとは思われるけれども、どちら側とされてきたジャンルも形骸化されたものをなぞるだけで、本質的にはあまり変わっていないように感じるんですよね。

これがイタリアに行くとレッスンの最中に

ロックの8ビートのように!

なんていう先生からの言葉が飛んでくるし、

ロシアなんて音楽大学の先生たちが酒を煽りながら民謡を歌い踊り狂って楽しそうにしてるし(10番まで終わらなかったカリンカを聴いた

小汚い格好のおじさんが目をキラキラさせながら劇場の安席に座って聴き入っている姿なんて見た日には到底適わないなと思わされる。

無作為に褒め称える必要性はもちろんないのだけれど、自国のルーツとなる文化や同じ時代を生きる別ジャンルの人たちの音楽を頭ごなしに否定するのではなく、当たり前にあるものとして感じながら生きていくことの大切さを教えられた気がしました。

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とはいえ、平成以降に音大生だった人たちは同じ大学の友達同士でカラオケに行くことだってあっただろうし、今や大学の専攻にミュージカル界やシンガーソングライターを目指す人のためのものだってある。なんだかんだみんな好きなんじゃんと思いつつも、どこか後ろ暗さを伴った印象が否めない。一般大学にいながら音楽を学ぶ人や、一般大学を経て海外の音大で学んできた人たちはそこらへんが非常に柔らかく、羨ましい限りです。(日本の音大出身者も、そうでない人も、どちらも一概に言えるものではなく、あくまで“そういう傾向にある”という話です)

わかりやすい、アカデミズムとは相反するものを“破廉恥だ”と自分もよく師匠から揶揄されてきましたが、それでも好きなものは好きで、否定されようがその素直な感性は自分の手で守り抜いていかないといけないもの。

(後々勉強を進めていくなかで、本当にただ破廉恥なだけのものは感覚をブラッシュアップした際に自然淘汰されていくことがあるし、それはそれだと思っている)

だからこそ、違う畑の人との交流やフラットな視点からの考察はとても刺激的なのです。

*半年ぐらい前に狂ったように放送大学のアーカイブ放送を観漁っていた際に出会った佐藤良明氏によるスペシャル講演“リキミ&ブルース”の誕生 ~黒人R&Bと昭和三連符演歌~では、戦後に欧米から輸入されたシャッフルビートと日本の音楽やこぶしがどのように融合し発展していったかが語られていて、とても面白かったです(残念ながらYoutube上には1分程度の動画しかアップされていませんが、書籍や論文に当たることはできるので、興味がある方は是非)

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何百年も前に時代の価値観もまったく異なる社会や国で生まれた音楽が、強度を損なうことなく現代に残っていることを考えると、普遍的な訴求力の高さでクラシックに勝るものはないとはたしかに思うけれど、だからといって他のジャンルの音楽やその起源、精神性を蔑んで良い理由にはならないなと思う今日この頃。

次回、本業に直結はしない、いや安易にさせないようにしているけれども実は好き、という音楽にまつわる話を綴る予定です。

まっすぐど真ん中の本業の畑以外からくるアイデンティティを同業の仲間に知ってもらうことは回り回ってすごく意味のあることだと考えているし、リスペクトを持って造詣や愛の深さを語ることができるんじゃないかなとも思うので。

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