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明るい浪人生活

十代の頃経験した浪人。

あれが1回目で
数年飛んで去年2回目
引き続き今年は今年3回目のような感覚。

誰としゃべるでもなく部屋にこもり
音を頭で鳴らす為に作業中は常に無音
というのが作曲の浪人の基本スタイル。


(しばしばサボって
お笑い系コンテンツを漁ったり
他ジャンルの音楽を開拓してたのはご愛嬌)

世の中のしくみから
完全ドロップアウトした生活は
存外平気だったというか正式に

“堅気じゃない”

と言い渡されたようで
むしろワクワクしたけど、
言葉を発さない時間が長ければ長いほど
内省する時間が増えていき
声を発さない自分自身との対話というのが
嘘をつくことができない時間だと
気付かされたのが
いちばんキツかった。

きっとあの体験を経ているからいま
穏やかな心持ちのまま
夢中になれているのだと思う。

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明るい浪人生活。

これのパロディなようでいて、
わりと大マジでもあり。

(トンでもない繋げ方なのは自覚している)

言葉が普及すると
概念を人に伝えたり
共有したりしやすくなる反面
キャッチーさや
センセーショナルさに欠ける
微細なニュアンスを含む重要な内容が
分かりやすさの裏側に隠れてしまって
いつの間にか
無きものにされてしまう危険性を孕んでいる。

そんな部分にこそ
本質的な美しさがあるというのに。

いずれも、
未学者向けの初手の本としては
雲を掴むような話に思えてしまうだろうし、
先行研究の内容を
知るような域の人間からすると
一冊の文献として完結させるには
先行研究からの引用に終始しているように
感じてしまうのかもしれないけれど、

“感覚理解と知的理解の橋渡し”

という観点に最も重きを置き
言葉選びをしているという印象を受け
(特に後者の本)
私にとっては既知の感覚に対して
説明づけがなされるようで
スッと腑に落ちる点も多かった。

まるで自分の感情に対しての
言葉を持ち合わせておらず
正しく表出できずにいた
思春期の青少年が
自分の感情の正体を言語的に
捉えることができた時のような
(喩えとして適切かは分からないけど)
気づきと喜びを得ることができたように思う。

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知識と感覚が
繋がった時の感動というものは
何物にも代えがたく素晴らしく
これこそが音楽が
芸術の一部であるところの
最大の醍醐味なのだと思うのだけど
美術や演劇と比べて共感・共有するのが
とても難しいとも感じている。

様々なテクノロジーがさらに発達すれば
素晴らしい音楽家が体験した極地を
脳ごと追体験できたりするのだろうか?
もし、実現可能だったとして
果たしてそれは音楽の持つ本当の喜びを
自ら手にしたことになるのだろうか_


***

『活版印刷』という印刷技術がある。

現代から見れば
膨大な手間とコストが掛かり
情報を世に広める手段として
現実的ではないが
当時としては
革新的な技術とされていたはずだ。

便利さを知ってしまったいま
新鮮にありがたみをもって
時代の当事者として
技術を享受することは難しいが
“最新だった”
という時代の感覚を探り当てるように
音楽に触れる工夫は必要なのだと思う。

様々な響きに
耳が慣れ切ってしまっている現代においては
数学者や哲学者の手から
少し離れた程度の音楽理論は
一見すると
“フォーマルなモノトーンコーデ”
のような印象を受けるかもしれない。

だけど次第に水墨画のような豊かさを
当時の音楽家は追い求めていただろうし、
モノトーンはモノトーンでも
黒を基調としたモノトーンから
暖色系あるいは寒色系という
幅を持たせていった時期は
なんと色彩的なんだろう…
という感動があったかもしれない。

時代感覚を
正確に認識することは難しいけれど
時代や文化が異なる状況や
それを音に反映させようとする
作曲家の思想に
我がごとのように思いを馳せることで
遠い時代の音楽を身近なものに引き寄せたい。

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ある意味これより豊かな色彩感覚で
モノトーンを捉えたいし

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アスファルト上によくあるこういう油の痕を
美しいとかカラフルと感じるかどうか…

みたいな話も
今後していったら面白いかもしれない。
超主観的に作曲家別の色や
質感のイメージについて
語ってみるとか。
追々。やるかも。。です。。。

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…早熟なスターを除けば
(自分も含めて)
日本の学部や
修士を出てなお探究する場合
真の拠り所を求め彷徨う人も
少なくないから
ある意味
“masterless samurai”
かもしれない。。。

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